歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『七つの会議』に現実をみる

映画『七つの会議』に現実をみる

 

2020年9月7日 自宅

 

 

「映画、観ないか?」

 

パートナーよ。

昨日、一緒に観たばかりでしょうが。

 

言いたくなったが、映画狂に通じるはずがない。毎日どころか、タイミングが合えば1日中映画館で過ごす生き物なのだから。「あんた、うるさい」とか言うくせに。もちろん、鑑賞中は作品の世界に入り込んでいるので無言だ。「ポカーンと口を開ける癖を直せ」と言われるほどだ。隣から口にポップコーンを放り込まれても無意識にもぐもぐする。鑑賞後に感じたことを並び立ててしまうのだ。それを知っているのに、映画鑑賞に誘う。人のことを寂しがり屋というが、パートナーの方がどう分析しても一人が無理な子である。

 

映画『七つの会議』

 

観たことがない映画なら断ったが、誘われたのは観たことがある作品だった。新作は脳が大興奮で疲れ切るが、再視聴ならば多少は落ち着いている。それに、この作品は見直したいと思っていた作品だ。展開を知っているのでドキドキしないが、気づかなかった伏線を発見するワクワクはある。読み終わった推理小説を再び開き作者の意図を探るような感覚は、再視聴ならではの楽しみだ。

 

手品の裏側を見るような気持ちで作品に向かった。

 

 

スッキリしない。

 

エンディングだけじゃない。

 

全体的に、なんかスッキリしない。

 

面白くて納得できるけど、どこか爽快感がない。初見ではメインストーリーに意識が引っ張られて目がくらんでいたが、また見直して気づいた。ちょっとしたサブストーリーや人間関係もスッキリしない。ホワイトで、ブラックでもなく、グレーだ。わかりやすい敵がいて、主人公が倒して全部解決のようなケリがどこにもない。

 

とても現実的な作品だ。

 

意思を通しきれない環境

複雑に絡み合った人間関係

過去に足を縛られる人たち

 

そういえば、映画『七つの会議』の原作は元銀行員の方が書かれた小説だ。物語は、創作者の理想が詰まっている。つまり、現実はそうじゃない。どころか、逆の展開が多いのだ。それが嫌だと感じたから、せめて想像の世界だけでもと理想を描く。その視点で分析すると、スッキリしなさを詰めたこの作品が理想という事は現実がどれほど酷かったか。銀行というのは人の欲が渦巻いてしまう場所だ。想像するのは難しくない。

 

ただ、映画『七つの会議』は現実を排除していない。どうにもできないやるせなさを作品に持ち込んでいる。現実と理想、両方をおいしく混ぜたカフェオレのような作品だと感じた。それゆえに、理想がメインの作品よりも人生の参考になる点が多い。よく人に騙されたり、損な立場によくなる人にぜひ視聴してほしくなる。私? 「似たことあった」「あるある」「こういう反応だよね」という感想を抱いた。ブラック寄りの生き物なので、もう少し現実が多めでも無問題である。

 

原作者が同じスッキリするTVドラマ『半沢直樹シリーズ』が注目をあびやすいが、スッキリしない映画『七つの会議』もいい作品だよ。

 

見直しても、はじめに持った印象は変わらなかった。

 

パートナーはどうしようもない映画狂だが、その結果の審美眼は信用している。本日の映画鑑賞もステキな時間だった。ありがとう。ただし、もう一本観るとか三日連続で観るとかは遠慮する。

 

私は、あなたほど現実離れした存在ではないのだよ。

 

 

 

「こんな風になればいいのに」

 

 それが、物語の原点だ。

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』にカッコよさを学ぶ

映画『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』にカッコよさを学ぶ

 

2020年9月5日 自宅 

 

「これ、観ないか?」

 

パートナーが映画鑑賞を誘いに来た。もちろん、自宅での視聴だ。この数か月、かなりしつこく映画館に誘われた。だが、私は一度として折れなかった。さすがの映画狂もあきらめたようだ。私の体調がずっと良くないこともあり、最近は部屋でのんびり映画を楽しんでいる。

 

 今日のお誘いは映画『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』、前から観たいと思っていた作品だ。Mr.ビーンの動画はいくつか楽しんだが、短い物ばかりでじっくり味わうような長い動画は観たことがない。映画狂が体調不良の物語愛な生き物につまらない作品を勧めるとは思えない。だいたい、私はジェフリー・アーチャー氏の書籍『百万ドルをとり返せ!』に小学6年で出会った時からイギリス的ブラックユーモアが大好きだ。悩む余地はない。

 

パートナーのぷよっとしたお腹を突きながら、動画の再生を待った。

 

爆笑

 

わかっていたけど、爆笑

 

ひどすぎるけど、爆笑

 

タイトルと微かのズレもない、国をまたにかけた大迷惑が次々と襲いかかってくる。周りの驚愕と怒りと悲しみ、その他いろいろなリアクションとMr.ビーンの「私、なにかしましたか?」な態度とのギャップに笑いが止まらない。漫画『ヘタリア』がアピールする紳士な面は衣装ぐらいだ。基本のノリはパブ、つまり酔っぱらったおっちゃんだ。こちらが腹を立てても、相手にはまったく響かない。当事者だと腹立ちでイライラするだろうが、画面向こうのコチラからすればそのズレが面白い。喜劇と悲劇の違いは視点の距離の差にすぎない。その言葉の意味がよくわかる作品だ。

 

それにしても、すごいのがMr.ビーン役ローワン・アトキンソン氏の演技力だ。顔の動きの多彩さもすごいが、体の動かし方もすごい。普通の人なら転ぶような姿勢でもまったくグラグラしない。笑いを誘う演出に誤魔化されそうになるが、よく観察するとひとつひとつの動きが無駄なく美しい。食べ物を吐き出したり、エロさをさらけ出すなど、下品と言われるシーンでも見苦しく感じないのは立ち居振る舞いのおかげだろう。

 

Mr.ビーン役の皮を剝げば英国紳士が現れそうだ。鍛えられた体に脚本を書く頭脳、食事の場面で垣間見える指先の品位は、ふと目に見せるメイクや衣装や間抜けっぽい表情やお下劣な演出でも隠しきれてない。内面と演出とのギャップも、Mr.ビーンという役の魅力になっているのだろう。真のカッコよさは何をしても隠せないのだ。

 

映画『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』 には歴史や古典に名言などの引用が隠しアイテムのように散らばっている。知らない人が観ればただのコメディだが、ちょっとでもこの仕掛けに気づけば、その知の深さにひれ伏すしかない。ある意味、こちらの教養が試される作品だ。その点でも、Mr.ビーンらしい映像だったと感じた。

 

人間の本性というのは言動に現れる。

隠すことはできない。

 

ひと時の笑いだけでなく、

人としての基本を叩きつけられた。

 

お腹と心にダメージを与える。

とてもいい作品だった。

 

パートナー、

今回もステキ作品を教えてくれてありがとう。

 

笑った拍子に

お腹に頭突きをして申し訳なかった。

 

笑顔で許してくれた

お腹と同じくらい、でっかい心に感謝する。

 

 

 

乗り物の中で

にじみ出た美味しそうな香りに

お腹を空かせたことはないかい?

 

どれほど厚く包装しても

完全に消すことはできないのだよ。

 

中身がもつ香りを。

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『AI崩壊』に人のもろさをみる

 映画『AI崩壊』に人のもろさをみる

 

2020年3月11日 映画館

 

家の近くに映画館がない。

それなのに、観るべき映画がある。

 

駅3つ分以上の距離を移動して、映画館に向かう。もちろん、映画狂のパートナーもいっしょだ。なぜ、そこまでして観る必要があるのか。

 

約束した。

 

映画『AI崩壊』の原作者と去年、立ち話をした。その時に「絶対に映画館で観ます」と宣言した。まったくの偶然、原作者と再び会う可能性は少ない。観なくても、何も問題はない。だが、宣言したのに観ないのはどうも落ち着かない。幸いなことに、映画狂のパートナーも観たがっていた作品だった。これは、行くしかない。

 

私は免疫系の病気持ち

映画狂は心臓病でペースメーカー入り

 

感染症対策を万全にして、映画館に向かった。

電車を避け、リスクの低い車で移動だ。

 

ガラガラ

 

ショッピングセンターの中にある映画館だ。いつもは人がたくさん歩いているのに「閉店寸前ですか?」、尋ねたくなるほど人が少ない。関係者には申し訳ないが、ホッとした。これなら、新型コロナウイルスに感染することはまずない。

 

穏やかな心で映画『AI崩壊』のはじまりを待った。

 

 

そっくりだ。

設定は違うけれど。

 

今の世界にそっくりだ。

 

この状況を予測していたのか?

疑いたくなるほど、混乱する風景が似ていた。

 

映画ではAIシステムの暴走、こちらは感染症の流行、パニックになる原因は違う。だが、人の混乱する理由が同じだった。 

 

 当たり前の崩壊

 

外食、旅行、会議など、これまで出来なくなることを想像すらしていなかった行動が出来なくなる。健康にみえていた人が目の前で亡くなる。行動が制限され、死が身近に迫ってくる。今、人類に襲いかかっている。日常生活が崩れ去る様子がよく似ていた。

 

私も、パートナーも、ニュースを毎日チェックしているが動揺はしていない。これは、当たり前が崩れていないからだ。行動が制限されるのも、感染症対策をしなきゃいけないのも、死がすぐ傍にあるのも、日常でしかないからだ。いつ死ぬかわからない現実を共に生きている。なので、お互いにのんきなものだ。停電が長時間続いたりしたら、さすがにイライラするだろうが。

 

映画『AI崩壊』でも同じだった。AIに生活を頼っている人ほど、パニックになっていた。逆にパソコンすらほとんど使わないような、昔ながらの生活をしている人たちは「大変だね」と他人事のようだった。危険が近づかないと怖さに気づけない。こんなところも、今の世の中そのままだった。

 

当たり前と感じるものを大切にする人は少ない。その大切さを失うまでは気づけない。たいていの場合、当たり前に感じるものほど大事でかけがえのないものだ。健康、安全、環境など、失うと困るものほど大切にしない。当たり前が消えると、心の安定すら保てないほどもろいのに。人類の悪い癖だ。

 

映画『AI崩壊』では、登場人物の多くが学びを得た。起こってしまったことを、無かったことにはできない。映画『AI崩壊』のように、当たり前の大切さに気づく人が増えるといいな。そう、願った。

 

劇中のように、人類外の存在に選別される前に。

 

 

健康

環境

大切な人

 

失ってしまえば

二度と戻らないものほど、

人は大切にしない。

 

いつまでもあると妄信するがゆえに。 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画館の終わりを映画『テッド・バンディ』で見送る

 映画館の終わりを映画『テッド・バンディ』で見送る

 

2020年2月29日 映画館

 

新型コロナウイルスにかかったら死亡率が高い。

主治医にも「外出を控えて」と言われている。

 

だが、私は映画にいる。

 

映画狂のパートナーと共に、映画館の劇場で映画『テッド・バンディ』の上映を待っている。いつものように映画狂に引きづられた、のではない。今回がラストだからだ。

 

映画館が閉館する日

 

半年以上前から、閉館が予告されていた。

今日が最期の日なのだ。

 

生まれてはじめて入った映画館、その終わりを見届ける。

とても寂しい日だ。

 

だからこそ、映画館に向かう以外の選択肢がなかった。ちなみに、パートナーは近場の映画館が無くなることにブチブチ文句を言っている。観たい作品があれば、何時間かけても映画館に行く。その行動力があれば、問題はないだろうに。安定の映画狂である。

 

 それにしても、ラストだというのになんか締まらない。

 

感染症の騒ぎで人出は少ない。明るい作品を選ぶつもりが、なぜか殺人狂の実写を元にした作品の上映を待っている。半年前に閉館を知った時の想像とは、何ひとつかぶっていない。

 

終わりとは、そういうモノなのかもしれない。

予定通りにはならず、ただ消え去っていく。 

 

風がピューピュー入ってくる部屋を眺めるような寂しさを抱えながら、実在した連続殺人犯をモデルにした作品の上映ベルが鳴るのを待った。

 

うん、身勝手だ。

どこまでも自分の欲望に忠実である。

 

能力が高い人が自制をなくすと、ここまで恐ろしいことになるのか。才能も包丁と同じで、使い手の選択で全てが決まる。人を喜ばすことも、傷つけることもできる。才能があるゆえに危うさを実感した。

 

自分の才能を、欲望を叶えるためだけに使った。

その結末は、どこまでも救われない。

 

誰も幸せではない。

 

ふと、この映画館を想った。

周りを見渡せば、笑顔がある。

 

こちらの映画館、閉館前のお礼イベントを行っていた。閉館の発表から今日まで、半年の間、新作だけでなく古い映画を100本ほど上映していた。モノクロ映画まである徹底ぶりである。壁には、たくさんの紙が貼ってあった。来場した方の、映画館や映画への想いがつづられていた。懐かしい映画作品を上映してくれたことへの感謝の言葉もあった。

 

新型コロナウイルスの流行で世の中が慌ただしい。みんな不安を抱えている。それでも、この日、この場所ではみんな笑顔だった。

 

どうせ終わるなら、こういう風に去りたいな。

 

始まりがあれば、終わりがある。

人も、組織も、国も、いつかは消え去る日が来る。

 

終わりというのは残酷なものだ。

どれほど避けようとしても、避けられない。

 

その避けられない終わりに、どんな姿をみせるか。

そこに生涯がくっきりと現れる。

 

終わりにすべてが映し出される。そのことを閉館する映画館と映画『テッド・バンディ』という作品が教えてくれた。そして、気づいた。終わりにふさわしくない作品なんて、とんでもない。

 

欲望のままに生き、物悲しい結末を迎える。

笑顔と共に、多くの人に見送られる。

 

あまりに対照的な2つを同時に味わえた。映画『テッド・バンディ』は映画館の最期を迎える日に観る、最もふさわしい作品だった。こういう偶然を与えてくれる。これだから、人生は面白い。

 

なお、映画狂のパートナーはスタッフさんと不況について語り合っていた。相変わらず、予想外の行動をする人である。これだから、いっしょにいるのをやめられない。

 

パートナーが映画狂ならば、私は面白狂である。

 

1秒後に終わりを迎えても悔いがない。

そんな生き方がいい。

 

 

1秒後か、100年後か。

終わる時は、誰にもわからない。

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『バッドボーイズ フォー・ライフ』に予想外への対処法を学ぶ

 映画『バッドボーイズ フォー・ライフ』に予想外への対処法を学ぶ

 

2020年2月13日 映画館

 

「おい、映画に行くぞ」

 

待て、こっちはフラフラだ。

 

だが、映画狂の友人兼パートナーは聞きゃしない。ウィル・スミス氏が登場する作品でなかったら、ありったけの文句を口にしていただろう。ハーとため息をつきながら出かける準備をする。新型コロナウイルスが不気味なのでマスクと布手袋装備だ。まぁ、去年も似たような格好だったが。免疫が弱い人間にとって、冬は常に最大警戒をする時期である。

 

映画館はガラガラだった。

いい感じだ。

 

映画館の経営者にとってはよろしくない。だが、感染症を警戒中のこちらにとっては歓迎する状況だ。穏やかな心地で席に座る。今回、観る作品は映画『バッドボーイズ フォー・ライフ』、シリーズ最終章だ。どんな展開が待っているのか。

 

映画狂に落ち着けと言われながら、上映されるのを待った。

 

うん、似ているぞ。

これは、あの作品に似ている。

 

昨年、観た映画『ジェミニマン』にそっくりだ。

 

まさかのウィル・スミス出演作品の展開かぶりである。厳密に比べると、もちろん違う。けれども、似通った面が多い。大きな違いがなかったら、不満を抱えていただろう。

 

相棒

 

ここが明らかに違う。映画『ジェミニマン』には相棒はいなかった。だが、映画『バッドボーイズ フォー・ライフ』では、むしろ相棒との関係がメインだ。いきなり命を狙われるも同じ、過去のツケが襲ってきたのも同じ、予想外のトラブルの数々にウィル・スミス扮する主人公は振り回される。だからこそ、よくわかった。

 

相棒がいるだけで、これほど展開に差が出るのか。

 

いろいろと哀しい出来事が起こるが、映画『バッドボーイズ フォー・ライフ』はどこか明るい。それは、相棒を筆頭に支えてくれる仲間がいるからだろう。ほとんど一人だった映画『ジェミニマン』の主人公とは、ろうそくの火と月の輝きぐらい違う。

 

自身に能力があれば、どんなトラブルも乗りこえることは可能だ。けれども、そのしんどさは並大抵のものじゃない。失敗したときの被害をフォローしてくれる人もいない。無事を祈ってくれる人もいない。よほど精神が飛びぬけて強くない限り、心は持たないだろう。

 

なお、映画『ジェミニマン』の主人公も完全なる一人ぼっちではない。仲間はちゃんといた。普段は一人でも困らないかもしれない。だが、予想外のトラブルはたいてい自分だけでは対処がしきれない。そんな時に頼れる相手がいるかどうか。とても大きなポイントだ。そして、普段から語り合える友人がいる映画『バッドボーイズ フォー・ライフ』のような生活の方が人生の難易度は低そうだ。いっしょにバカなことをしてくれる、相棒の価値は言うまでもない。

 

アクション映画で爽快感を味わいに来たはずが、ホームドラマを観たような微笑ましさを持って帰ることになるとは。こういう予想外な驚きが大好きだ。これだから、映画を観るのをやめられない。

 

隣の映画狂も満足げだ。今回の展開は気に入ったらしい。私にとっての相棒は、この人になるのだろう。予想外のかたまりと言っていい生き物だ。10年以上の付き合いだが、まったくあきない。体調フラフラの人間を映画館にひっぱってくる。非常識な行動だが、私を元気づけるためだとわかっている。素直に心配を面に出せない、不器用な生き物だ。お互いに言葉にせずとも、分かり合える部分があるから付き合いが続いている。支えてもらった回数は数えきれない。

 

万人が認める人ではないが、私にとっては大事な相棒である。

 

 

予想外のトラブルの難易度は、

助けを求められる人の数で決まる。

 

たとえ人数が少なくても

 

本音を言える相手がいれば、

ゲームオーバーになることはない。

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『カイジ ファイナルゲーム』に非常識を学ぶ

 映画『カイジ ファイナルゲーム』に非常識を学ぶ

 

2020年1月24日 映画館

 

お腹が痛い。

なのに、なぜか私は映画館にいる。

 

去年と同じく、映画狂の友人に引っ張り出された。年が明けても、強引さはまったく変わらない。ヤレヤレダ。

 

今日、観るのは映画『カイジ ファイナルゲーム』だ。映画狂の友人が今年最初に見る映画が、ギャンブル狂の物語とは。沸き上がった笑いをこらえるのに苦労した。なお、私は狂人が出演する作品が大好きである。「狂気の沙汰ほど面白い・・・!!!」、原作者の別作品のセリフに心から同意する。

 

『カイジ』という作品は狂人だらけと言ってもいい作品だ。この傾向は原作の漫画も、アニメも、映画も、まったく違いがない。今回の映画では、どんな狂人が登場するのか。思わず体の痛みを忘れて動いてしまうほど、気になって仕方がない。

 

全身を襲う痛みに悶えながら、始まりの合図を待った。

 

うん、狂っている。

今回も名前がある登場人物は、全員どこか狂っている。

ここまで、狂人がそろうとは。

 

さすがだ。

 

映画『カイジ ファイナルゲーム』に登場する狂人の面白いところは、狂気と計画性が同居しているところだ。行動は狂っているのに無駄がない。自分の目的を達成するために、あらゆる手を打ち、未来を先読みする。ただ、その目的が狂っているだけである。

 

ここに怖さを感じた。

 

人は自分と違う意見に出会ったとき、否定の気持ちが浮かぶ。「こんな簡単なことも理解できないなんて愚かだ」、そんな言葉を口にする人もいる。ほとんどは事実のとらえ方が違うだけで、片方が間違っていることはめったにない。

 

ただ、間違いではないが不運を引き寄せる意見はよく見かける。自分も、周りも、破滅に向かう内容なのに気づかない。他人の意見だったら気づけるおかしさも、自分の考えだと気づけない。

 

この破滅に自ら向かう人は、賢さが足りない人だろうか?

 

「なんで、あんな馬鹿なことをするんだ」

 

きっと、考えが足りないと受け止める人が多いだろう。

だが、現実は違う。

 

物事のとらえ方と考える深さは、まったく関係がない。狂っていると多くの人が感じる思想の人が、平均よりも頭がいい例はゴロゴロある。むしろ常識とか、道徳とかの枠がないので発想の幅が広い。常人の思考は読みやすいが、狂人の思考は読みづらい。だから、狂人の計画は成功率が高くなる。予想ができない行動を止めるのは難しい。

 

ただでさえ行動がわかりにくいのに、

愚かだなんて油断をしたら

 

不幸な結末が避けられなくなる。

 

相手がおかしいと感じる時ほど、私は用心をする。自分の中に沸いた相手を否定する気持ちは、事実をゆがめてしまう。それに、自分の考えがおかしい場合もあり得る。相手に隙を見せないためにも、自分の考えを絶対視しないためにも、相手をおかしいと感じる自分をまず疑う。

 

映画『カイジ ファイナルゲーム』は、狂人の恐ろしさをマジマジと味合わせてくれた。原作を描かれた福本伸行氏の作品は、人生の落とし穴を警告してくれる作品が多い。ただただ感謝である。

 

物思いにふけっていると、映画狂の友人がつぶやいた。

 

「少しは表情が明るくなったようだな」

 

なんと、私を心配して映画に誘ったらしい。

 

狂人と良人は共存する。

人とは矛盾だらけの生き物だ。

 

ちなみに映画狂の友人は、パートナーも兼ねている。

私も活字狂なので、似た者同士カップルである。

 

 

狂人の視点からみれば、

常人が狂っているようにみえる。

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『マレフィセント2』に脅えの恐ろしさを学ぶ

映画『マレフィセント2』に脅えの恐ろしさを学ぶ

 

2019年12月12日 映画館

 

また、映画館である。

数日前に来たばかりだ。

 

一度は断った。

 

私は体力がミジンコレベルもない。

お腹の子の発育が心配だから、と。

 

けれども、反論できなかった。

 

今回の作品は親子の物語だ。

子育てのいい参考になる、との言葉に。

 

おのれ映画狂め。

多くの作品を観ているだけはある。

いいセリフを投げつけるじゃないか。

 

敗北感に包まれながら、映画館に向かった。

 

 本日観るのは、映画『マレフィセント2』だ。いつものパターンだが、映画『マレフィセント』は観ていない。それをわかっていて、誘う友人はいろいろおかしい。1を観ずに2を先に観る、私に責める権利はないが。ただ、心配はしていない。最近の映画は、上映順に観なくても楽しめる。途中からでも大丈夫なように、ストーリーが組まれている。もちろん、作品の公開順に観た方がより楽しめることに変わりはないが。

 

 少しの不安と、多くの期待を胸に劇場に入った。

 

 

 魔女さまが美しすぎる。

 

それなのに、不器用なところが可愛らしい。

なんて、すごいお人なんだ。

 

思わず、お母様と呼んでしまいたくなるほど素晴らしい。美しくて、可愛くて、強い。なんてすばらしい人物なんだ。娘への愛も絶壁よりも深く、天空よりも高い。あまりに隙が無いキャラだ。

 

観終わって数分は、魔女さまの美しさで頭がいっぱいだった。感動が過ぎ去ったのち、ふと思った。魔女さまの基本方針は、最初から最後まで変わらない。

 

娘ラブだ。

 

だが、周囲の対応はまったく違う。

なにが、原因だろうか?

 

 

なにを敵としたか?

この違いでしかなかった。

 

魔女さまは、人にとって敵だった。

魔女さまはアグレッシブに敵対する気がないのに。

襲ってきた蛇をつぶすように、危険に対処しただけだ。

 

その評価が、後半がらりと変わる。

人間が、内なる敵に気づいたからだ。

結果的に、魔女さまに対する評価が変わった。

 

いっそ清々しいまでに、人間が身勝手すぎる。すべてを破壊する勢いで魔法を放っても、不思議ではない。魔女さまの心の広さに尊敬の念が高まった。

 

みえないものに脅えて、敵を自ら作り出す。

なんて、愚かな話だろう。

 

 ふと、気づいた。

 

これは物語の世界だけじゃない。

日々、過ごしている世界でも起こっている、と。

 

 情報を疑うのは大事だ。疑いながら分析しなければ、事実には近づけない。けれども、物事には限度がある。なんでもかんでも悪いイメージでとらえれば、世界のすべてが敵にみえてしまう。365日休みなく、脅え続けて生きる。これほどストレスがたまる生き方はなかなかない。

 

そんな脅えと共に生きる人生を避けるためには、バランスが大事だ。疑うべきを疑い、信じるべきを信じる。片輪では車は安定して走らない。相反する感情をコントロールしながら、物事を見極める。その大切さを映画『マレフィセント2』は教えてくれた、息をのむほどの美しさを描くことで。

 

 自分自身は

一番の味方であり、一番の敵でもある。

 

敵にするか、味方にするかは、

自身の心がけひとつだ。 

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『ルパン三世 THE FIRST』に愛は隠せないことをしる

映画『ルパン三世 THE FIRST』に愛は隠せないことをしる

 

2019年12月8日 映画館

 

珍しく、父がふらっと帰ってきた。

なんてタイミングで戻ってきたんだ。

 

昨日、妊娠がわかったばかりなんだが。

しかも、流産の確率が高い。

 

なお、父の昔の口癖は

「孫は欲しいが夫はいらん」

「最近の男はDVとか危険すぎる」

 

父がパチンコにハマってお金がなく、給食代が払えないと頭を下げる。私が何回、学校の事務所で頭を下げたと。ちなみに、父が頭を下げたことはない。

 

まさに、お前が言うなである。

今も昔と変わらなかったら、さすがに拳がうなっていた。

 

これを笑顔で流せる私は、自分でも凄いと思う。

 

さて、父がどこかに行こうと誘ってくる。半分、過去の罪滅ぼしだということは察している。正直に妊娠を言うわけにもいかない。

 

ペースメーカー入りの心臓病患者に、過激な話題は酷すぎる。妊娠だけを伝えると、流産したときショックがきつい。私の製造元だが、心が強くないのは知っている。「妊娠したけど、流産の可能性が高くてね。救急車で運ばれるかも」なんて言ったら、父が救急車で先に運ばれてしまう。私は、責めて安定期に入るまで黙っていることにした。なお、なんの偶然かパートナーもペースメーカー入りである。私の人生に安定と言う言葉はない。

 

いろいろ考えた末、映画を観に行くことにした。近くで、動く量が少なく、室内で温かい。お腹の子の体調が最優先である。

 

ちょうど映画『ルパン三世 THE FIRST』が上映されていた。父も私と同じく、アニメが好きだ。もう一度、映画『シティハンター』(フランス版)を観てもよかった。だが、父が3Dに興味を持ったため、映画『ルパン三世 THE FIRST』に決まった。アニメ好きで、新しいもの好き、こういうところは血のつながりをかんじる。

 

過去のルパン三世のアニメについて語り合いながら、劇場に向かった。

 

なぜだ、なぜなんだ、スタッフよ。

どうして、どうして最も気合いが入っているのが、

 

石川五右衛門の髪の毛なんだ。

 

わかる、わかるよ。

石川五右衛門はいいキャラだ。

私も、次元大介の次に好きなキャラだ。

 

けれども、商業的にはどうなんだ。

ふつうは主役のルパン三世とか、

お色気役の峰不二子に手をかけるはずだろう。

 

なぜ、峰不二子の髪よりも石川五右衛門の髪がきれいなんだ。

 

服のしわも、布の揺れも、武器のきらめきも

すべて石川五右衛門に軍配が上がる。

 

それでいいのか。

 

商業的にはアウトかもしれないが、私はスタッフの愛を称えたい。石川五右衛門が最推しのスタッフがいるのだろう、しかも熱烈な。それを確信させてくれるほどの愛をみせてもらえて、私はとても満足だ。

 

なぜ、確信できるか。

趣味で3Dをいじっているからだ。

素人に気軽に遊べる文化をつくった、MMDの関係者には感謝しかできない。

 

趣味といえども、半年ぐらいは熱中した。今でも遊んでいる。なので、どれほど3D映像を作るのが大変かは、全く触ったことがない人よりは察せられる。完璧に作るのでは足りない。人間らしさをだすために、あえてバランスをくずす。和菓子職人がお菓子を作るような繊細な調整を2時間の映像分作り上げる労力、想像すらできない極地だ。

 

その中でも、髪や布などの細かく揺れる表現と刀の輝きを調整する作業は恐ろしく難しい。日本人向けなら、実は銃の方がたやすい。3Dの最大の壁は、見慣れているものを表現することだ。髪も布も見慣れている対象だ。刀は普段の生活で見ない? 包丁やハサミ、カッターナイフは家にないだろうか?

 

それほど、難しいものに全力で手間をかける。

気づく観客は、ほとんどいないのに。

 

よほど、推しの凛とした姿が見たかったのだろう。

カッコよさと美しさを兼ね備えた石川五右衛門、素晴らしかった。

これは、愛がなせる業でしかない。

 

ふと、横の父を眺めた。過去に多くのトラブルを引き起こした父を、私が心から許せたのはあの日があったからだ。神戸の震災の時、父が自分の体を盾にして守ってくれた。あの出来事がなかったら、許せていたか自信はない。

 

愛というのは、

口に出さなくてもにじみ出るものなのだな。

愛は隠せない。

 

それを、映画『ルパン三世 THE FIRST』に教わった。

 

物語は多くのことを教えてくれる。

それを確信する一日になった。

 

愛していることも、

愛していないことも、

どちらも隠すことはできない。

 

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『シティハンター』(フランス版)は愛しかなかった

映画『シティハンター』(フランス版)は愛しかなかった

 

 2019年12月2日 映画館

 

今日は楽しみにしていた日だ。

 

海外から情報が入ってきた。

あの日から、ずっと気になっていた。

 

凄まじい愛で原作者を口説き落とした

フランス人監督がつくった作品

 

『シティハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』

 

 近くの映画館で公開される日を、指折り数えて待っていた。いつもは引きずり出される映画狂の友人を、逆に引きずって映画館に向かった。少々、体調が悪かったが、家族も説得してきた。物語がからむと私が一歩も引かないのは、家族も理解している。あきれ顔で見送ってくれた。

 

あぁ、映画館が近づいてきた。

目立つ位置にポスターが貼ってある。

何回見ても、海坊主さんがそっくりすぎる。

 

楽しみでたまらない。

 

友人を引きずりながら、

映画館に向かう足を力強く進めた。

 

 

みた。

なんか、すごかった。

 

これほど、

気合いの入った実写映画ははじめてだ。

 

作品への愛が、すごい。

『シティーハンター』へのリスペクトもすごい。

これが、フランス人の本気なのか。

 

原作者が絶賛したのも納得だ。喜んで、作品製作の許可を出すだろ。作中の音楽も驚いた。なんと、アニメ版『シティーハンター』の曲をそのまま使っている。カラスのマークもアニメと同じだ。原作が大好きなファンであれば、あるほど、感動が止まらない。下品さも、エロさも原作そのままだ。

 

アニメ版『シティーハンター』の表現は、原作のコミック版『シティーハンター』よりマイルドだ。激辛カレーと甘口カレーぐらいの差がある。初期のアニメ版『シティーハンター1』は差が少ない。だが、数字が進むにつけ甘口になり、アニメ版『シティハンター3』の頃には血の表現も、色気のある表現も減った。時代の流れなので仕方がない。だが、原作ファンとしては残念に思っていた。

 

なお、女性が色っぽい表現や荒っぽい表現が苦手だというのは偏見である。ミリオタもギャルゲー好きの女性もいる。性別をきれいに隠して、ネット上でウロチョロしている女性は20年前からたくさんいる。最近、増えたのではない。ただ、隠す必要が無くなっただけだ。2ちゃんねるに日参していた、あの時代が懐かしい。

 

帰宅後、『シティハンター』愛を炸裂させた監督について調べた。

さらなる驚きが待っていた。

え? そこまでなのか。

 

冴羽獠役を演じた役者さんが、監督だった。

 

演出、脚本、主演、資金集め、原作者への交渉、

すべてをほぼ一人でこなしたというのか。

 

愛が、愛がすごすぎる。

 

おそらく、同じ『シティハンター』ファンたちを筆頭に、多くの人に助けられたとは思う。だが、その人たちを動かしたのはフィリップ・ラショー監督の『シティハンター』への愛だ。

 

好き

 

この感情は、すべてを塗りかえる。

私の確信を強めてくれる作品だった。

 

これほどの愛をみせてくれた

 フィリップ・ラショー監督には

尊敬の念しか感じない。

 

フランス人の愛の強さを

見せつけてくれて、ありがとう。

 

 

好きは最強の感情だ。

 

シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 字幕版
 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『アナと雪の女王2』に許しの難しさを学ぶ

映画『アナと雪の女王2』に許しの難しさを学ぶ

 

2019年11月23日 映画館

 

「ほら、行くぞ」

 

私より軽い足取りで、前を歩く。映画『アナと雪の女王2』の上映開始を楽しみにしていた、友人のテンションが高い。確実に声が半オクターブは高い。いつもはもっとダラダラ歩くのに。正直な友人だ。なお、へそを曲げると面倒になる。ガキ大将をイメージしてもらえれば、しっくりくるキャラだ。

 

私も楽しみにしていた。実は一番最初の映画『アナと雪の女王』は映画館で観ていない。その当時は体調が悪すぎたのだ。しっかり、円盤で観てきたので予習は完璧である。いきなり三作目から観る、なんてマネをよくするので説得力はないが。最近の映画は、どこから観客をを置いてけぼりにしない、親切な作品が多い。時代に適応するたくましさを感じる。

 

いつものたくましさが欠片もない、

浮足立った友人の後を追いながら映画館に向かった。

 

重い

 

ディズニー映画をなめていた。ストーリーが重い。しかも、とても繊細な話題を容赦なく取り扱っている。映画『グリーンブック』より表現は優しい。だが、描かれている問題点はより複雑だ。なぜ、この題材で作品を作ったのか。アメリカの現状を知れば、調べるまでもない。

 

この作品のテーマは、おそらく”許し”だろう。

 

過去の事実をどこまで許せるか?

その為に何ができるか?

 

そんな重いテーマを、真正面に受け止めている。

 

許し、というのは強制できない。周りのすべての人間が許しを求めたとしても、当事者が許せないかぎり、すべては終わらない。たとえ許したとしても、感情のしこりは残る。個人レベルですら、100年単位の時間がかかることもある。許せない、この感情は世代を超えて受け継がれてしまう。当事者だけで収まるならば、これほど簡単な話はない。だが、そんな夢物語はない。

 

映画狂の友人は、こちらの予定も聞かずに、映画を観る当日に誘う。これを恨めしく思っている。映画が楽しいのとは別問題だ。喜ばしい感情と恨めしい感情が両立している。だから、時々チクッとやり返す。

 

こんな小さなレベルでも、人は恨みは忘れられない。私が執念深いのもあるが、それだけじゃないと否定したい。世の中の別れの原因を調べてみればいい。そのほとんどが、きっかけは小さなことだ。小さな恨みが積み重なって、ある日、大爆発を起こす。

 

個人的に”許し”は自分の為にする。そう、理解している。誰かを憎んでいたときは、しんどかった。毎日が面白くなかった。しかも、一日中、恨んでいる相手の顔が浮かぶ。この生活が楽しいはずもない。

 

けれども、憎んじゃいけない。そんな風には、言えない。他人に言われた程度で許せるならば、誰も苦しんだりはしない。許そうとしても、許せないから苦しむのだ。

 

ディズニー映画なので、言うまでもなく結末はハッピーエンドだ。これは、これで素晴らしい。私はハッピーエンドが大好きだ。だが、ハッピーエンドが好きなのは感情の部分だ。現実はこんなに甘くないよ。理性の私がつぶやいている。

 

映画『アナと雪の女王2』ほどのハッピーエンドは無理でも、少しでもいい形の結末に現実を持っていけたら。この思考が、しばらくは頭の片隅を占領するだろう。「最近の作品は男が軟弱すぎる」とわめく友人がうらやましい。昭和と令和では時代にあった生き方が違うのだよ、ワトソン君。今日は恨みポイントのたまりが少ないので、口に出すのは堪えた。

 

許されたとしても、

事実はひとつも変わらない。

 

たとえ、

当事者すべてが忘れ去ったとしても。

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『地獄少女』に、流行はオムライスだと学ぶ

映画『地獄少女』に、流行はオムライスだと学ぶ

 

2019年11月17日 映画館

 

「ホラー映像はダメだ」

「怖くない、大丈夫だって」

ついに、映画用の友人にホラー映画に引きずっていかれた。あれほど苦手だと言ったのに。オニー。

私はホラーは好きだ。小説とマンガは、むしろ好んで読む。今回、観る映画『地獄少女』も完読済みだ。というより、内容を知らなかったら友人を吹き飛ばしてでも逃げた。ホラー演出が少ない作品『地獄少女』だから受け入れた。

 

私は耳がいい。集中していると、まったく音が聞こえなくなるが、何もしていないときはわずかな音もよく聞こえる。そう、ホラー映画の驚かす音が苦手なのだ。無駄に想像力があるせいで音だけでおぞましい図を頭に描いてしまう。だから、音付きのホラーは苦手なのだ。小学生の頃はアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』のエンディング曲のラスト、驚かすところだけ目をつぶっていた。

 

そんな私をホラー映画に連れ込む友人は

鬼としか言いようがない。

 

歩く速さは同じなのに

軽い足音の友人、重い足音の私は

並んで映画館に向かった。

 

観終わった。

 

最初は一部、目を背けてしまったが、中盤からはじっくり観ることができた。展開自体は原作を知っているので予想通りだった。だが、狂った人間の演出が見事だった。負の感情にとらわれた人がどういう選択をするか? とても、生々しかった。

 

ふと、気になった。

なぜ、今、『地獄少女』なのだろうか?

 

連載開始は2005年、終了は2008年だ。最後の続編を含めても、終了は2013年だ。5年どころではなく前の漫画が、映画化したのはなぜだろうか?

 

きっと、時代に合っているからだろう。

 

今の日本は負の感情が渦巻いている。就職氷河期世代の一人である私には、同年代の苦悩が届く。バブル期の好景気を見ていたのに、好景気のうまみを味わったことがない。そんな人がゴロゴロいる。『すべては本人次第』、この言葉は正しいが感情が納得する人は少ないだろう。

 

今、話題になっているブラック企業なんぞ甘い。就職氷河期の真っ最中は、問題になっているブラック企業を優しく思えるほどひどかった。今より物価も高く、それなのに給料は今より安い。コンビニの時給が600円台、その仕事すら取り合いだった。職を得ても、楽にはならない。一言でもノーを言えば退職に追い込まれる。

 

そして、経済が回復しても、自分たちに来る恩恵は少ない。未だ、手取りが10万円をきる人が多数いる。ブラック企業にいた時に心身を壊した人も多い。この状況で子育ては、先がよめる人なら選ばないだろう。自分の生活すら、ギリギリなのだから。

 

しかも、経済破綻の原因を作った世代は年金生活を楽しんでいるようにみえる。自分たちよりも、少ない年金保険料しか払っていないのに。これで、恨まない人は数少ないだろう。

 

それぞれの世代は、それぞれの苦労がある。

 

高度成長期の人たちは、すさまじい受験戦争だった。戦後すぐは、想像もつかない悲惨さだ。波乱が少なかったバブル期世代は、これからが危ない。

 

だが、自分が苦しい時は、他人の苦しさは目に映りにくい。就職氷河期世代に他の世代のことも考えろ、というのは無理が過ぎる。そして、なにかを恨んでいる限り、生活が楽になることはない。恨みを晴らす物語、『地獄少女』が人気を集めるのも当然だ。「自分が不幸になってでも、仕返しをしたい」、そんな風に感じている人が、たくさんいるのだ。


流行というのは、オムライスのようなものだ。素晴らしい作品という材料が、時代の流れに調理されると、流行という料理になる。今、生まれている料理は幸せを生むとは言い難い。きっと美味しくないのだろう。美味しい料理が出来上がる日を願ってやまない。映画『地獄少女』は、流行の地獄を教えてくれた。

 

人を不機嫌にする味のモノも、

人を上機嫌にする味のモノも、

どちらも料理の枠に入っている。

 

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『ジェミニマン』に個性を学ぶ

映画『ジェミニマン』に個性を学ぶ

 

2019年11月1日 映画館

 

ウィル・スミスが好きだから

 

友人の個人的すぎる好みにより、私の映画館行きが決定した。同じ理由で引きづっていかれた映画『アラジン』が面白くなかったら断っていた。ウィル・スミス氏のダンスはすごかった。だから、アクションも見ごたえがあるはずだ。足取り軽い友人の後ろをテクテクついていった。

 

バイクって、打撃武器だったのか。

 

新たなバイクの可能性をみせてもらった。手足どころか、指のようにバイクをコントロールしていた。かかと落としならぬ、バイク落としは一撃必殺だ。ガンアクションは暗殺者の設定なので予想していた。だが、バイクを手足の延長線上で使いこなし、主人公に連続攻撃を仕掛けるのは予想外だった。

 

ハッキリ言って、ストーリーは普通だ。よくある展開と言っていい。クローンが登場する物語にいくつか触れた人なら、エンディングは予想できるだろう。いつもなら、つまらないで終わりだった。けれども、映画『ジェミニマン』は違った。

 

アクションがカッコいい。

 

この1点だけで、観客に納得感を与えていた。つまらない作品は映画館に行くと一発でわかる。エンディング後、劇場に明かりがともった瞬間に目に映る観客の表情が、あく抜きを失敗したゴーヤーをかんだ後のような渋い顔をしている。もっとひどい作品の時は完全なる無だ。鉄板に刻んだ線のように、ピクリともせず無言だ。映画『ジェミニマン』では、ブツブツ言いながらも表情が笑っていた。

 

ストーリー

映像

音楽

 

すべてが素晴らしいのが一番いい。だが、予算の関係など大人の事情でうまくいかない時がある。下手に中途半端な作品にするぐらいなら、1点だけ突き詰めればいい。頭に強烈な印象を残すものがひとつでもあれば、評価は一定レベル以上になる。''アクションが大迫力’’の印象だけが残った映画『ジェミニマン』に教わった。この突き抜けた1点こそ、個性と呼ぶのだろう。

 

華麗なるバイクアクションが上映後30分たっても頭から離れない。この作品は記憶に残りそうだ。不思議なことに、面白いと感じても忘れる作品はある。けれども、強烈な個性を感じた作品は忘れない。インパクトの大切さも学んだ1日だった。

 

美味しい料理よりも

お金をもらっても食べたくない料理の味を

人は覚えてしまうものだ。

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『真実』に人の危うさを学ぶ

映画『真実』に人の危うさを学ぶ

 

2019年10月21日 映画館

 

「行くぞ」

 

またか。映画狂の友人の誘いだ。今回の作品は映画『真実』、友人にしては珍しいチョイスだ。フランス映画に誘われたのは初だ。この作品の監督は是枝氏、映画『万引き家族』で賞をとった方だ。ちなみに、私は映画『万引き家族』を観ていない。こういう高尚な作品を理解できる自信がまったくない。だが、今までの経験上、断っても友人からは逃げられない。黙って、うなづいた。

 

フランスらしいな。

 

日本人監督の作品なのに、フランス文学と受けた印象が同じだった。一言で表すならば、ほの暗い。ひっそりと森に隠れた泉のように透きとおる映像、語られる言葉の響きも心地よい。だが、人の心はドロドロだ。むしろ背景が美しさが人の心の不純さを浮かび上がらせている。

 

”真実”、なんとも皮肉めいたタイトルだ。

 

事実はひとつでも、それぞれが想う”真実”が違う。ひとりの人間の中ですら、いくつも”真実”がある。人のご都合主義な性質が余すところなく映し出されている。

 

どこか重くなりがちな作品を明るくしてくれるのが、一人の少女だ。少女視点が多いからこそ穏やかに観ていられる。少女の母視点なら惨事、祖母視点なら大惨事だ。祖父視点や、家令視点の心の闇も深そうだ。良い人の立場だった父、祖母の料理人視点も油断できそうにない。善意の象徴、フランスならばジャンヌダルクと例えるべきか。祖母と共演する若い女優の心も疑いだせばきりがない。少女だって、純真とはほど遠い。

 

明るさを前面に出しているのに、黄昏時にふと視界の端に写る闇のような暗さが背すじをヒヤリとさせる。けれども、その闇が引き込まれそうなほど魅力的だ。ほの暗い”真実”を心の内に隠し、微笑む。きれいなだけではいられない、人間の生々しさが作品に奥行きを与えていた。

 

人の危うさ、なんて引きつけられるんだ。

 

理性のままには動けない。過ちをいくつも犯す。どこまでも不完全な生き物、それが人間だ。だが、そのダメな部分がとても愛おしく思えた。問題しかない男性に魅かれる女性の気持ちが少しわかった気がする。

 

なんて感情を教えてくれたんだ。是枝監督と誘ってくれた映画狂に感謝すべきか、不満を訴えるべきか。とても答えが出ない。だが、これだけは言える。高尚さの欠片もないガサツな私でも魅せられるほど、ステキな作品だった。

 

きれいなだけでは興味は集まらない。多くの人が口をそろえて責めるような危なさが、かえって人の心を呼び寄せる。ストーリーの神髄も教わった気がする。「ダメさの研究をしよう」と心に誓った。ちょうどいい題材はここにある。前もって連絡するという意識がない。そんな映画狂は観察対象にぴったりだ。

 

私は笑顔を浮かべて、友人を振り返った。

おや? 友人の顔が引きつっている。

どうかしたのかな?

 

その後、友人は昼食をごちそうしてくれた。理由は教えてくれなかった。

 

危うさに、魅了される人は多い。

魅了された人の多くは、破滅へと足を進める。

綱渡りができるのは、ほんの一部だ。

 

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『ヘルボーイ』は、はぐれ者に元気をくれる

映画『ヘルボーイ』は、はぐれ者に元気をくれる

 

2019年9月27日 映画館

 

私はホラー映像が苦手だ。高校時代、授業中に『リング』が上映された。出席したのを後悔した日、ダントツの一位だ。上映中、ひたすら顔は地面と平行にしていた。音声だけでも恐怖の2時間だった、原作は読了済みで展開を知っているのに。ホラー映像のオドロオドロシイ演出と背筋がぞわっとする音、どうにも克服できない。

 

それなのに映画『ヘルボーイ』なんて、タイトルだけで逃げたくなる作品に誘ってくる。映画狂の友人よ。あれほどホラー作品だけは付き合わないと念押ししたのに。「大丈夫、大丈夫。これは怖くないよ」、嘘くさい。今年、『チャイルド・プレイ』と『IT』を観た人の評価なんてあてになるものか。

 

返事をする前に、作品紹介と予告編をチェックする。

 

アメコミ原作、ふむ。血は吹き出ているが、ホラー特有の静かなる脅かしがない。どうもダークヒーローアクション作品のようだ。これから、私でも楽しめそうだ。「やっぱり行くよ」、断りの言葉を撤回した。

 

グロイ。

 

予算が足りなかったようだ。流血の表現が一部つくり物臭い。それが逆に気持ち悪い。血、骨、内臓をぶちまけているので、苦手な人は開始10分でアウトだ。私はリュックベッソン監督の作品『ジャンヌ・ダルク』で耐性がついている。

 

虫と骨のコラボモンスターも出てくるので、多足嫌いにもおススメできない。ダンゴムシを探して喜んでいた。そんな幼稚園児だった生き物にとっては、むしろ懐かしい感覚だ。こちらは、いい意味で動きが気持ち悪かった。空を飛んでいるのに、虫っぽい。

 

人を選ぶ作品

けれども、中身はオーソドックスだ。

 

はぐれ者の成長物語、それが映画『ヘルボーイ』だ。主人公であるヘルボーイは、見た目も身体能力も化け物だ。それなのに、心は人と同じだ。心もモンスターだったら楽に生きれただろう。人と同じ心だからこそ、受け入れられないことに苦しむ。

 

登場人物のほとんどは、ヘルボーイを排除しようとする。何も悪いことをしていない。それどころか、助けても裏切られる。ヘルボーイがやさぐれているのも納得できる。「こういうひどい目に何度もあってきたんだな」、具体的に描かれなくても想像がたやすい。

 

しかし、ヘルボーイはくじけない。どんな状況になっても自分の信念を貫く。「文句が言いたい奴には、好きに言わせておけ」と行動が語っていた。

 

はぐれ者の前向きな生き方をみた。

 

はぐれ者というのは叩かれやすい。人間は本能に「集団生活を乱すものは排除しろ」と刻まれている。世の中は、本能を理性で抑えられる人ばかりではない。嫌な目を味わうのは避けきれない。叩かれやすいのを受け入れたうえで、どう生きるかだ。

 

私は、はぐれ者だ。日本の平均に当てはまっているのは、留年せずに高校を卒業したぐらいだ。おかげで子供の頃は随分といじめられた。親戚などにも陰口をささやかれた。ヘルボーイのようにやさぐれていた時代もある。父親に「くそおやじ」と暴言を吐いたこともあった。なお暴言については反省をしているが、発言が間違っていたとは今でも思わない。

 

そんな状況でも自分との約束は守った。「この線を越えると取り返しがつかなくなる」、そんな予感がしたからだ。苦しい時期も踏みとどまったおかげで今の私がある。

 

理不尽な扱いを受け、孤独になる。そんな立場になっても自暴自棄になってはいけない。そんなことをすれば、理不尽に責めてきた相手に「自分は正しかった」とお墨付きを与えてしまう。これほど腹が立つ話はない。映画『ヘルボーイ』で主人公が示したように、苦しい時ほど頑張る。それが、はぐれ者の生き方だ。

 

調子がいい時は

誰もが良い人でいられる。

 

苦しい時こそ、本性が現れる。

 

ヘルボーイ(字幕版)

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【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『人間失格』に創作者の業をみる

映画『人間失格』に創作者の業をみる

 

2019年9月17日 映画館

 

「作家志望なら観ないのはありえない」

 

また映画狂の友人に引っ張られた。今月は4回目、さすがに回数が多すぎる。一度は断ったが、煽り文句に負けてしまった。友人と出会って、10年以上が経っている。もはや言わない言葉も通じる仲だ。こちらの弱点はすでに見抜かれている。私も友人の弱点は見抜いているが、映画に対する熱意には勝てない。ヤレヤレダ。

 

これはひどい。

 

映画『人間失格』のタイトル、そのままに太宰治氏がひどい。さすが「書いた文章よりも人生がすさまじい」と言われるだけある。どう頑張ってもフォローできないほどダメ人間だ。

 

その太宰治氏に深く関わる3人の女性は、逆に漢らしい。それぞれに譲れぬ信念を貫いている。世間に理解されない形やエゴイストとしか言いようがない想いもある。だが、だれにも邪魔させない在り方は美しい。

 

かと言って、「太宰治氏に魅力がない」とは言えない。いい加減で、優柔不断で、我がままだ。付き合う相手としては絶対におすすめできない人物だ。それなのに、3人の女性が惹かれるのに納得ができる。

 

どこまでも純粋

 

人間関係に誠意は欠片もないが、文学には誠実だ。太宰治氏は文学のために生きた人だとつくづく感じた。巻き込まれた人は不憫だが、そんな人生だったからこそ名作が数多く残っている。

 

映画『人間失格』は作家の業を描いた作品だ。これは文学者だけでなく、芸術家などの創作者は少なからず抱えている。創作者の人生は生み出す作品の種だ。良くも悪くも、味わった経験はすべて創作の糧になる。

 

ゆえに、家族はある寂しさ抱える。

『どれほど心を傾けても最愛の存在にはなれない』

 

創作者にとって作品が最も愛する対象だ。自分自身ですら2番手でしかない。太宰治氏のように不幸を選んででも作品のために命を懸ける人もいる。家族は支える存在になれても一番にはなれない。それでも愛してくれる人は少ない。心を病む創作者が多いのも仕方がないことだ。繊細な感性に孤独の風は冷たすぎる。

 

偉大な創作者で家庭円満な人は少ない。晩年が幸福だったとしても幼少期に苦労した人ばかりだ。皮肉なことに、その苦しみが作品の質を上げる。なぜならば、苦しみは人が持つ根源的な悩みだ。描かれる苦悩が深いほど人の心を打つ。絶望を知らずに名作を生みだすことはできない。それどころか世にある名作の本質を理解することもできない。

 

苦悩とエゴを表現するうえで太宰治氏はぴったりの対象だ。太宰治氏の作品は明るい作品であっても、どこかほの暗さがある。世の中を冷徹な眼で観察、周囲に傷つき、自身も傷つけ、それでも文学への純粋な想いを無くさず駆け抜けた。

 

そんなエゴイストの良さも、悪さもこの作品は映し出していた。主人公、太宰治氏が描いた世界と同じく、映画『人間失格』は人の弱さを描いた作品だった。どこまでも魅力的に。

 

強さは憧れは得るが、愛されない。

人は弱さを愛する。

 

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