第40回 交流
2019年3月3日 会議場
昨日、京都に行ったので寝ていたい。身体が重いので、ダラダラしていたい。だが、予定があるので起きた。
今日は海外渡航について、語り合う会があるのだ。別に、私が海外に行くわけではない。行ってみたい気持ちがあるが、現状ではドクターストップは避けられない。なぜ、体調が万全でもないのに参加するのか?
視野を広げたい
私は書籍とネットを中心に、情報を得ている。このやり方の最大の弱点は、情報が偏ることだ。どれだけ幅広く意見を調べようと思っても、自分の好みが出てしまう。それを防ぐためには、自分では選ばない場所に飛び込むしかない。本当は海外に行くのが一番手っ取り早いのだが、現状では無謀すぎる。なので、海外経験のある人たちが集まる場所に、定期的に顔を出す。
ここで驚きの利点があった。10~20代の参加が、とても多かったのだ。生まれた場所と同じくらい、年齢が10歳離れると世界が違う。例えば、通信だけでも大きな差だ。
私の学生時代はポケベルだった。10歳上は、携帯通信なんてなく、手紙だったそうだ。私より10歳下は携帯電話である。今の子たちはスマホである。手紙の時代とスマホ時代では、情報の伝わる速さも内容も全然違う。手紙で動画を送るのは無理である。
生きてきた場所や年代が違うと、考え方も注目するものも「何を大事に生きているか?」も違ってくる。これがどれほど違うかは、体感でないとわかりにくい。
違うとしる
それだけでも、意見のすれ違いや争いは防げる。新たなアイディアも生まれてくる。考え方の違いを尊重できれば、交流できる人たちの幅が広がる。
だから体力が許す限り、いろんな会に顔を出している。そんな気持ちで参加していると、知人も増やそうとしなくても増える。健全な興味で話しかける人には、みんな喜んで話してくれる。話が盛り上がって波長が合えば、連絡先の交換の流れになる。
私は知人が多ければ多いほどいい、とは思わない。『人生で大切にしているもの』が合わない人といっしょにいても、疲れてしまう。反面教師や刺激にはなるが、割に合わない。
無理をして増やした知人は、何かあったら一瞬で消え去る。そういう人たちがアドレス帳に1,000人いるより、トラブルの時に助けてくれる、いや大変な時に手を差し伸べたくなる友人が3人いる方がよほど大きい。
信頼は数ではないのだ。
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