歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったり生きる』

『病院スクランブル』 第46回 希望

 

第46回 希望

 

2019年3月4日 自宅

 

「体調がわかるメーターがほしい」

「身体を治す魔法の呪文がほしい」

「体力を回復するアイテムがほしい」

 

こう思った所で、現実にはない。ただ転がっていても、1日が苦痛を感じるだけで終わるだけである。そんな時間の無駄は耐えられない。なので、全身が痛い日は『どうやって起き上がるか?』を考えることから始まる。

 

起き上がるまでには、3つのポイントがある。

 

1つめは、痛みが最も強い場所の確認である。厄介なことに、日によって痛みが強い場所は異なる。腰が1位の日もあれば、膝が1位の日もある。頭が1位の日だってある。これが曖昧だと、起き上がる動作を決められない。

 

2つめは、痛みが最も小さい場所の確認である。痛みが軽い場所を支えにして、起き上がる。最も痛い場所は、起き上がる時に使えない。ただでさえ痛いのに、起き上がる時に力を入れたら、もっと痛くなる。歯痛よりもきつい痛みを、感じたくはない。

 

3つめは、予備動作である。いきなり動こうとすれば、軽い痛みの場所が最も痛い場所に早変わりする。そうすると全身の痛みが共鳴し合い、音のように激痛が全身に広がる。それを防ぐために、ストレッチまではいかないが軽く関節を動かして準備動作をする。

 

この3つが揃って、やっと起き上がれる。長い時は夕方までかかる。起き上がれても、30分座るのが限界の日も少なくない。

 

だが起き上がるのを、やめる訳にはいかない。ここで起きるのを諦めてしまうと、寝たきりに逆戻りである。どんだけ辛くても、最低1日1回は自力で立つ。それが線維筋痛症が悪化するのを防いでくれるのだ。だから私は、高熱があろうと、寝返りを打てないほど全身が痛かろうと、意識が半分無くても自力で立ち上がる。

 

痛みをこらえて起き上がる作業は、楽とはとても言えない。それでも病気の名前がわからず、どれだけ辛くても疑われた『仮病』のときよりはマシである。少なくとも、身体がおかしいことを信じてもらえる。

 

なにより大きいのは『自力で起き上がっていさえすれば、症状の改善につながる』と思えることだ。死が近づくのをただ待つ日々に比べれば、体調が改善するかもしれないという、希望がある今は幸せである。



希望は毒だという人もいるが、私はそうは思わない。

 

同じ状況でもどん底に落ちたままの人もいれば、這い上がる人もいる。その差は『希望』だと思う。「運の差だ」と言われることも多いが、その運を呼び込むのは個人の意志と行動である。そして絶望の状況でも前向きな意志と行動を持ち続けられる人は皆、なんらかの『希望』を心に抱えている。『希望』のまたの名は”夢”である。
 

 

アルティメットヒッツ ファイナルファンタジーIII

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