歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

『病院スクランブル』 第56回 無意識の暴力

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第56回 無意識の暴力

 

2019年3月6日 自宅

 

家に帰り着いたら、気が抜けた。休憩をはさんだが、なんとか徒歩30分の距離を歩けた。これで「なんであの人、若いのに杖使ってんの?」とサヨナラだ。言われなくても、そんな目線はわかる。障害があって引きこもる人たちは体のしんどさと、異星人を見るかのような目に耐えきれず、外出しなくなるのだろう。

 

杖を使う前と使った後

 

同じ立場になったからこそ、わかることは多い。自分も相手が傷つく視線を送っていたのではないかと、申し訳ない気持ちで一杯になった。無意識の暴力は根が深い。やってる本人に傷つけている意識がないので、なかなか改善されない

 

よくイジメで生徒が自殺した後に「そこまでとは、思っていなかった」とのコメントがよくでる。「責任逃れだ」と叩かれることが多いが、それだけとは言えない。本音も半分は混じっている。

 

イジメも環境問題だ。イジメがあるのが当たり前の環境だと、おかしさに気づかない。それまで自殺した人間がいないのだから、大丈夫だと思いこむ。誰かが死んではじめて『人を殺す行為だった』と気づく。気づいて反省するなら良いが、そんな人ばかりではない。

 

「これまで大丈夫だったのに、自分の時だけ運が悪い」

 

殺された生徒の心や体を責めたり、世間を責めたりして、自分の行為が悪かったとは認めない。そんな人は、ただ批判の嵐がすぎるのを待つだけだ。イジメが終わるはずもない。また、別の犠牲者が出るだけだ。

 

世の中で最も残酷なのは、遊び半分で人をいたぶる行為だ。罪の意識も、傷つけている意識もない。

 

自分も無意識の暴力をふるっていたことを、杖が教えてくれた。とても素晴らしい体験だった。

 

 

 

 

「アンコンシャス・バイアス」マネジメント 最高のリーダーは自分を信じない

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