歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

『病院スクランブル』 「いい人生は、長さじゃない」と高校野球の選手に教えられた

 

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『病院スクランブル』 

「いい人生は、長さじゃない」と高校野球の選手に教えられた

 

2019年3月10日 自宅

 

早く寝たおかげで、体調は悪くない。頬は昨日以上に腫れている。2、3日目はどんな怪我でもよく痛む。覚悟していたので、心の負担は少ない。

 

こんな日は、さすがに外出しない。家でゆっくりしている。無理して外出すると貧血、心拍数急上昇、高熱のトリプルパンチをくらってしまう。昨日、普段飲まない牛乳を飲み過ぎて、お腹を壊したばかりだ。同じようなやり過ぎ失敗を、連続でしたくない。

 

なので、今日は歴史を学ぶ日にした。私は日本の歴史や文化を学びたくて、研究会に参加している。そこでは教科書に載っていない、地元に密着した情報も話題になる。小さなころから、歴史好きだった私には、甘いお菓子より輝いて見える。今日は時間がある。数日前に更新された情報を、じっくり読むことにした。

 

泣いた

ぼろ泣きした

適当に生きてて申し訳ない

 

高校球児志摩(しま)選手の話で、涙線が壊れた。その選手は身体が弱かった。それでも野球が大好きで、才能もあり頑張っていたが、病気は悪化する一方だった。余命もあまりない。野球をやめれば、寿命が数年延びるかもしれない。だから子供を大事に思う志摩(しま)選手の父親は、とめた。だが、やめない。父親は野球道具を焼こうとした。それを知った志摩(選手)は、父親の大事な商売道具を、焼こうとした。怒る父親に、志摩(しま)選手は言った。「親父にとってその道具が大事なように、俺にとっても野球道具は命そのものだ」、父親は止められないと、無理に止めれば自殺しかねない。父親は、息子の野球への想いを認めるしかなかった。志摩(しま)選手が亡くなるまで、父親は息子の応援を続けた。

 

志摩(しま)選手の野球への命をかけた想いと、息子が少しでも長生きしてほしい、という自分の想いをこらえて応援を続けた父親の想いに、泣いてしまいました。志摩(しま)選手の最期は、試合の最中に発作が起きて、そのまま亡くなりました。その最期まで、父親はやめろと言わず、応援を続けました。

 

命をかけても、やりたい

 

一生後悔するとわかっていても、

だれかの想いを尊重する

 

それが、自分にもできるだろうか。とても、答えは出せませんでした。ただ、『いい人生は長さで決まるんじゃない。最期の瞬間に、自分がどう感じるか』だと、これだけはわかりました。

 

私の叔父は、ガンの延命治療中に自殺に近い形で亡くなりました。幼稚園の頃の話です。痛み止めも全く効かなくなって、「殺してくれ」とうよく言っていたそうです。30年以上前で、尊厳死という言葉もない時代でした。少しでも長く生かすのが最優先で、患者の意思なんて無視でした。3度の手術と、多量の抗がん剤で地獄のような苦しみを味わい、最期は命をつないでいた点滴を、監視していた人の目を盗んで引き抜き、亡くなりました。

 

その時から、ずっと考えています。

「生きるって、なんだろう」

 

きっと、自分が死ぬ瞬間まで

答えは出ないでしょうね。

 

『だ、である』口調と、『です、ます』口調が混ざってしまった。私の頭の中は、大混乱中なようだ。これだから、解離性障害の多重人格者は困る。脳内で会話が始まってしまうのだ。便利でもあるのだが、こういうときは困る。おかげで、時間が流星のごとく過ぎ去ってしまった。朝だったのに、もう昼過ぎである。家族の「いい加減に、ご飯を食べなさい」という、声が聞こえる。急がないと、まずい。「今、行くから」と言いながら、扉を開けた。

 

家族と過ごす時間に感謝しながら、私はご飯を食べた。





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