歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

『病院スクランブル』 鈍感も、素晴らしい

 

『病院スクランブル』 鈍感も、素晴らしい

 

2019年3月24日 自宅

 

家に帰ってきた。今回のイベントは、学びも多かったがストレスも多かった。欲望だらけの人達が、たくさんいた。いい人の仮面を皆かぶっていたので、背筋に走るゾクゾクした悪寒が止まらず、気づいてないフリをするのもしんどかった。

 

私は、定期的に思う。「勘が鈍ければ、もっと気楽だったろうな」と。死にかけたり、最悪の展開でも逃げ切れたのは、勘が鋭かったおかげである。元々、勘は悪くなかったが、修羅場だらけで磨かれたので、最近は画面越しでも相手の本性がみえる。同時に相手の思惑に気づいていると危険な時もあったので、隠すのもうまくなった。身の安全がかかっていれば、苦手だったことも得意になる。

 

今は修羅場ではないので、勘が鋭い必要はない。なのに、修羅場で身についた感覚は鈍らない。おそらく定期的に生死の境を行ったり来たりしているので、勘がサビる暇がないのだろう。だから、気づかなくていいことにも気づく。相手がこっちを金づるにしたいとか、知人を紹介してもらうために仲良くなりたい。こういう騙そうとか、踏み台にしようとかに気づくのは利点だ。だが、普段は関わらない人たちの、笑顔で歓談の裏事情なんて知りたくない。修羅場で磨いた危機察知能力の暴走である。トラブルを避けるため、人間関係の不和にすぐ気づいてしまう。原因も感づいてしまう。こんなの胃が痛いだけである。

 

人間の感情に鋭いことはいいことだ、とよく言われる。それも間違ってはいない。だが、プラスだけの物事なんてない。鋭さと引き換えの代償は、トラブルに巻き込まれやすいのだ。これまでの人生で何度、人間関係の板挟みになった事か。それから逃れられるようになったのは、気づかないふりが出来るようになってからである。

 

”能ある鷹は爪を隠す”という言葉がある。『自己アピールが大切だ』と言われる時代なので、あまり重視されていない。だが、これも貴重な教訓だ。なんでも誇示すればいいものではない。隠したほうが良いものも、世の中にはあるのだ。

 

鈍感にも利点はある。警戒されにくく、バカにされやすいことだ。バカにされやすいは、マイナス面だけではない。相手の本性が表に出るのだ。相手が弱い立場だと感じた時、当たりがきつくなる人間はロクな人間ではない。陰口に仕事の押し付け、暴力など程度の差はあれ行動に現れる。個人的には行動しなくても、誰かを下に思う段階で、そんな人と交流しようとは思わない。

 

感情に鋭くても、鈍くても、悪いことばかりではない。どちらもプラス面とマイナス面がある。ナイフで人を喜ばせることも傷つけることも出来るように、自分の特性も使い方である。

 

 

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