『病院スクランブル』 映画『運び屋』に憎しみの種をみる
2019年3月25日 自宅
今日は、天狼院書店に提出する記事の締切日だ。内容は決まっている。先週ボロ泣きした、映画『運び屋』についてだ。先日、友人から予告編の公開アドレスを教えてもらったので、執筆前に視聴することにした。
また泣いた。
本編のシーンが、フラッシュバックする。
何回、泣かせれば気が済むんだ。
私が、この映画でボロ泣きしてしまうのは仕方がない。作中の奥さんや娘さんが主人公に言うセリフ、すべて幼かった私が叫びたかったことだ。悲しくないのに、ボロボロ眼から水が流れ落ちる。胸がとても苦しい。
映画『運び屋』のテーマのひとつは、”すれ違い”だと感じる。主人公は家族を愛していなかった、わけではない。だが、やることなすこと裏目にでる。家族が離れていくまで、自分の愛情表現が伝わっていなかったことにも気づかない。
人間関係のトラブルの始まりは、ほとんどが”すれ違い”だ。すれ違いの水が、争いの種を育てていく。そして憎しみの果実が実る。そして腐り落ちて、争いの種と悪意という名の香りをばらまく。
日本には、空気をよむという文化がある。察することができるのは、素晴らしい。しかし、頼りすぎていないだろうか。言わなければわからないことも、とても多い。最初に話し合っていれば揉めずに済んでいたのに、お互いが相手の意思をわかっているつもりで”すれ違い”、トラブルの火種が大炎上した例は何度もみた。
よく起こりやすいのが、相続問題である。普段交流があるから大丈夫と過信して、お葬式で大喧嘩して憎しみ合い、裁判に発展するなんて、珍しくないパターンだ。感情に欲望が絡むと、トラブルは肥大する。お金は拡大鏡でもある。良いものも、悪いものも関係なく、与える影響を広げる存在だ。
日本人同士でも”すれ違う”のだ。そんな文化のない、海外の人達に求めるのは無理がある。国際交流が盛んになる大きなイベント、オリンピックと万博が迫っている。これをきっかけに、自分の意見を率直に伝える価値が、日本で認められても良いのではないかと考える。現状は、「多様性のある社会を」「創造性を大事に」「個性を活かそう」なんて言葉だけが先走って、現実が追いついていない。出る杭は打たれる、今でも日本の主流だ。
不幸な”すれ違い”を避けたいなら、意思というボールを互いに投げるしかない。ボールを取りそこねて、痛い目をみることがあるかもしれない。それでも10年ぶりにボールを投げて大暴投、相手の骨を折ったり、家の窓ガラスを割るよりはよっぽどいい。普段から意思のボールを投げあっていれば、そこまで大外れはしない。たまに投げるから、大きく予測が外れるのだ。”すれ違い”を防ぐのは、普段の会話である。
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