歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

『病院スクランブル』 丸投げしたい、できるものなら

『病院スクランブル』 丸投げしたい、できるものなら

 

2019年3月26日 自宅

 

病院を何件もはしごしていると、嫌でも見る目は養われる。その病院が安全か、そうでないかも受付の前に立った瞬間に感じる。逆に言えば、受付がダメな病院は他もダメだ。

 

とはいえ、人柄が良いだけでも問題である。人はいいが腕も知識も10年前で止まっている医師、そんな人もいる。あくまで病院は、自分の心身を少しでもよくするために行く場所だ。話しやすい、行きやすいは最重要ではない。どれだけ怖そうで無口な先生でも、治療の腕が確かなら、私は通い続ける。

 

医師が病気に詳しいかどうかは、簡単に測れる。話題の病気や、最新の治療法について問いかけてみる。医師が知らなくても、メモったり後に調べようとする人なら安心できる。明らかに面倒そうだったり、知らないままで放置する医師は危険だ。すぐに転院をおすすめする。

 

例えばマーガリン、これは避けた方がいいと言われるようになったが、10年以上前の日本では「バターよりも、マーガリンが身体に良い」と宣伝されていた。これを、今でも信じている人は存在する。自分が食べる分だけなら、好きにすればいい。だが、他人にも押し付けて同類にしようとする。似たようなことが、病気の治療や薬でもある。被害を最も食らうのは、患者である。

 

医師がすべて信用できるなら、何も考えずにお任せすればいい。薬の種類を調べる必要も、病気や栄養学についての本を読む必要もない。ネットで情報を漁る必要もゼロである。そうであればいいのに、よく思う。医療情報は専門用語が多く、読むのに体力がいる。化学反応式を並べた資料を速読なんて、私にはできない。読み切るのに、他の分野の3倍は時間がかかる。そして医療系の本は、安くない。

 

時間や体力、お金がかかり体調不良の時は「もうイヤだ」と思う時もある。それでも調べるのは、痛い目をみたくないからだ。叔父のように身体を切り刻まれて、地獄の苦しみを味わいながら死ぬのは、絶対にゴメンである。

 

知識は、力である。しかも一度手に入れれば、失われることはない。これほど効果的な投資対象はない。頭でっかちになるリスクは有るが、『知らないことすら、わからない』よりマシである。無防備で生き抜けるほど、世の中は甘くない。今が平穏だからといって、これからも大丈夫な保証なんてない。

 

形のあるものは、失うのも一瞬だ。最後に頼れるのは、形のないものである。

 

<<2019年3月27日に続く>>

 

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

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