歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

『病院スクランブル』 治療法がなくても、意味がある

『病院スクランブル』 治療法がなくても、意味がある

 

2019年3月27日 病院

 

症状が安定しているため、大病院である免疫内科への通院は今日まで、以後はかかりつけ医の診察で大丈夫だそうだ。「病状が悪化したら、いつでも来てください」体調が安定していることを祝福しながらも、手におえない場合の対処も教えてくれた。いい先生だ。

 

私が患っている線維筋痛症には、はっきりとした治療法がない。いつ悪化するかも、わからない。それを正直に伝えてくれる、先生は有り難い。楽観視して手遅れになってから知っても、何もできないからだ。

 

一生、痛みを抱え続けることを、なんとも思わないわけではない。それでも病名がわからず、真っ暗闇を迷うような心を抱えた日々よりはいい。原因がわからない苦痛ほど、厄介なものはない。常に10キロの重りを背負っているようなもので、何をしてても苦しみが頭を離れない。理由がわかってさえいれば、心のタンスに不安を一時でも仕舞える。

 

最初に免疫内科を受診した時は、病名すらわからず体中の苦しみを我慢するだけだった。通常の検査では異常が発見されず、その度に疑いの目線をいくつも浴びた。病名が確定した今、痛みや苦しみを疑いなく信じてもらえる。それだけでも、心が軽くなった。

不安の原因を直視するのは、楽ではない。けれども何も見えない闇の中に放り出されるよりは、よっぽどいい。逃げたところで、いつかは不安に潰される。原因の見極めができれば、改善策まであと一息である。

 

「原因」と「結果」の法則

「原因」と「結果」の法則

 

 

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