歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったり生きる』

『病院スクランブル』 ガラクタが宝石である

『病院スクランブル』 ガラクタが宝石である

 

2019年3月27日 自宅

 

通う病院が4件から3件に減った。シャンパンでも飲んで祝いたいほど嬉しい。毎回行く度に使われる4時間以上の時も、翌日熱出して寝込む負担も今日までである。帰り道に手に入れた、藤色のハンカチを手入れしながらニヤニヤした。

 

”好きなもの”というのは、同好の士以外には理解されない。私もこれまで何度「そんな無駄なものに時間を使って」「熱があるなら寝てればいいのに」「金にもならないことをして」と言われたことか。そういうことをいう人間に限って、自分が好んでいるものを指摘されると激怒する。関わらないのが、最もいい対処法である。できなければ耳元で蝿が騒いでいるとでも思って、にこやかにスルーである。煩わしいが、こちらが気にしない限り害はない。そして他者を馬鹿にする姿は、周りから見れば美しくない。

 

「妻(夫)の趣味のものを処分したら、離婚された」よく聞く話である。誰かにとってのガラクタは、誰かにとっての宝石である。特に捨てる行為は「よく、そんな恐ろしいことができるな」と思う。趣味グッズは限定品のものが多く、出すとこに出せばトンデモナイ値がついたりする。例えば私が持っている原材料10円以下のカードは、カードゲーム大会優勝商品かつ原作イラストのサイン入りなので、詳しい人によると10万円らしい。万単位の値がつく限定品は、珍しくもなんともない。損害賠償を請求されたら、どうする気なのだろうか。自分が感じる価値は、世間の感じる価値とは等しくない。ゴミにしか見えないとしても、価値を感じる人が見れば札束を積み重ねても手に入れたいものである。

 

”好きなもの”はそれ自体の価値だけではない。ほとんどの場合、思い出ともセットである。本日、私は藤色のハンカチを買った。そこには”病状が安定して通院しなくても良くなった”という喜びの気持ちが付属している。なんの心構えもなく捨てられたら、激怒する確信がある。顔には出さなくても、根には持つだろう。

 

”好きなもの”によっては、場所をとる。ガラクタで部屋を占領されていれば、腹も立つだろう。けれども、片付けは本人がしないと軋轢を生む。心の整理もなく”好きなもの”を失った場合、ろくでもない結果になる。関係が破綻しての離婚、心が壊れて入院、生きる気力がなくなって失踪など、そこまで悪化しなくても一生の傷になる。親に大事なものを捨てられるのと、同じ感情を抱かれる。信頼関係はズタボロである。

 

相手が絶対に片付けたくないというなら、倉庫を借りるなり整理整頓させるなり、手は色々ある。趣味のために部屋を借りるなんて馬鹿らしいと感じるかもしれないが、家庭崩壊したり病気になるよりはマシである。もし揉めに揉めて離婚に発展しても、「大事なものを壊された」と憎まれて別れるよりはマシである。他人に恨まれるのは、息をするより簡単である。

 

何に価値を感じるかは、人それぞれだ。世間の評価は、あくまで目安でしかない。昔は持っているだけで非難されたものが、今は称賛されるなんてことは、いくらでもある。自分のものさしだけで行動すると、予想を超えたお返しがくる。その時になって後悔しても遅い。

 

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