歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

『病院スクランブル』 「おかしい」、問題ない

「おかしい」、問題ない

 

2019年4月3日 自宅

 

うちの父は自由人である。30年前の会社員のような働き方だった姿とは同一人物だとは思えない。胃がんになってから、父は無理な我慢をやめた。おかげで思い出したくないような経験も色々した。それでも昔の父よりも、今の父の方がいい。人生に希望のない親なんて、見ていたくはない。

 

家族の関係に口を出す人は多い。うちの両親は傷だらけなので、小さい頃から数えきれないほど言われた。親のいないところで「あんたの母親は、父の親せきとよくケンカした」「父親はこらえ性がない」「家にほとんど帰って来ないなんて」「ひどいことをした親とへらへら話すなんて異常だ」「そんな親なんて切り捨てろ」バリエーションが多すぎて、覚えきれないぐらいだ。おかげで、どんな言葉も穏やかな表情で聞き流すスキルが身についた。

 

他人の家庭にコメントする人の9割は、面白半分である。うちの家庭を下に見る優越感がにじみ出ていた。両親への恨みを、私を憐れむことで晴らす人もいた。相手をするだけ無駄である。スルーしていたら称号をいただいた。「冷たい子」「子供らしくない子」「変な子」こちらに聞こえるように噂していた。そして最後にいうセリフは「おかしな家庭」である。

 

陰口を言う一員になるくらいなら、おかしな家庭で結構だ。子供をよってたかってストレス発散に使うようなグループに入る気はない。肩書や世間の評判が、人間性と全く関係ないことを子供時代に学ばせてもらった。

 

家族とどんな関係を築くかは、個人の自由だ。仲良くするのも、距離をとるのも、縁を切るのも自由意思である。外野が手を出すのは、助けが求められた場合と命がかかっている場合だ。バカにするために口出す人たちは、気づいていない。自分たちも陰で笑われていることを。他人を見下しあう関係は、傍からは下品な舞台にしか観えなかった。

 

人を見下す表情は、美しさに最も遠いものである。

 

<<2019年4月4日に続く>>

 

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