口コミをどこまで信じる?
2019年4月8日 自宅
なぜだろう。特に理由もないのに体調が悪いままだ。組み替えた予定を再びいじる。読みたい本、観にいきたい映画の3割とは、さよならか延期である。
時間も体力も有限だ。どれに時間を使うかで、人生が決まる。貧弱な人間にとって気力体力は、常に30%までしか充電されないスマホのようなものだ。無駄に使うことは考えられない。そんな虚弱体質にとって、口コミはありがたい存在である。選択ミスを最小限に抑えてくれる。
「つまらなかった」「面白くない」「失敗した」というのも、いい経験になる。『なぜダメなのか?』を観察すると、多くの気づきを得られる。選択ミスもありだ、心身に余裕がある時ならば。チベットスナギツネ似の表情になるような作品をしんどい時に味わったら、湧き上がるのはどす黒いオーラである。
ただ問題はある。口コミに客観性は期待できない。ほとんどの口コミは個人、個人が思ったままに言葉にしている。その個人的感想に、評判を上げたいシークレットブーツ感想と叩き潰したいハンマー感想が混じる。すべての口コミを参考にしたら、頭が混乱して何も決められない。ふるい分けは必須だ。
私がまず参考にする口コミは、友人や知人に家族だ。次にネットで交流がある人たち、最後に不特定多数の意見である。付き合いが長ければ、発言が信用できるかどうかは読みやすい。友人の映画狂の感想と、めったに映画館に行かない父の感想なら友人を信じる。
ネットの口コミの場合、Amazonのように口コミが集まっている場所とブログやSNSのように個人が発信している場所の両方を読む。どれを参考にするかは、実施に試してみて、書きこみ通りに感じたかどうかで選ぶ。誰かが本音で感想を語っても自分の感想と一致しないのは、リアルもネットも同じである。自分の感性に似た口コミを探すのは、本音をしゃべっている口コミを探すのと同様に重要だ。
友人が美味しいと感じた料理が、自分の口にあうとは限らない。
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