歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【病院スクランブル】努力は夢の素材である

努力は夢の素材である

 

2019年4月21日 自宅

 

なんだかんだで、もうすぐブログ投稿をはじめて3ヶ月目に入る。毎日書いていたおかげで、文章を書くスピードと量が安定してきた。最初の頃の文章を読むと、悶絶(もんぜつ)したくなる。だが、言い換えることも出来る。少しは成長したのだと。

 

夢が叶う、それは運にも左右される。他者の協力や周囲の環境など、自分ではコントロールできない条件もたくさんある。それでも努力は欠かせない。努力という名の準備がなければ、チャンスは掌(てのひら)をすり抜ける。

 

魚が欲しい人がいる。一人は手ぶら、もう一人は常に網を持っている。目の前の川に魚が現れた時、どちらが手に入れるだろうか。「網を持ち歩くなんて、バカみたい」と普段からかわれようと、網を持っていた人が魚を手にするだろう。周りに認められないとしても、叶えたい望みがあるならば準備が必要だ。

 

なにを準備するかが、忘れてはならないポイントだ。魚を捕まえたいのに、網でなく釣り竿を持ち歩くならいい。ただの道具選択の違いだ。自分の好みや能力に合わせたのなら、むしろ最良の選択だ。だが、持ち歩くのが紙とペンならどうだろう。バカにされなず、持ち歩きも楽だ。けれども、魚を捕まえる役に立ちそうもない。夢にあった準備をしないと、叶う可能性は上がらない。

 

努力は、夢を叶える素材のようなものだ。肉じゃがが食べたいなら、肉とじゃがいもと玉ねぎ、そして調味料とだしがいる。それなのに、トマトとかセロリを用意する人がいる。美味しくなるかもしれないが、肉じゃがを食べたいという望みは敵わない。夢の場所へ向かう努力をしなければ、別のゴールにたどり着く。「ここに来たかったんじゃない」と嘆くことのないよう、今の行動が夢につながっているかのチェックは不可欠だ。

 

料理の練習をしても、作家にはなれない。

 

<<2019年4月22日に続く>>

 

自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング

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