歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【病院スクランブル】上手な失敗は、自転車に学べ

上手な失敗は、自転車に学べ

 

2019年5月5日 道路

 

道を歩いていて、よく見かける。それは自転車だ。20代までは私も乗っていた。お隣のドアに突撃してガラスを割ったり、消防署の前ですっ転んでチェーンが外れたり、夕方5時の駅前で電柱にぶつかり車道に飛び込んだこともある。他にもいくつか事件はあったが、骨折どころか捻挫も切り傷もない。すり傷かアザで済んだ。『道のりは穴ぼこだらけの平地ゼロ、ただし幸運持ち』それが私の人生、ドジなのは否定できないが。

 

失敗はいい経験になる。ただし、条件はある。失敗慣れしていれば、一生残るような傷ができたとしても復活できる。けれども、転んだこともないまま大人になり大怪我をした場合、一生涯立ち上げれない人もいる。自ら人生を終わらせる人もでる。そんな結末を迎えないためにも、水風呂に足先からソロソロ入るように失敗にも訓練期間が必要だ。

 

自転車の訓練は、失敗の訓練に似ている。まずは補助輪をつける。自転車の使い方を覚えさせるように、挑戦の素晴らしさを伝える。私が近所の人のドアに突っ込んだのは、このタイミングだ。「小学生のしたことだから」と笑顔で許してくれた。成人前に失敗する利点である。

 

次に補助輪なしで乗る。ここで覚えるのは受け身だ。失敗からの起き上がり方を学ばせる。これを怠ると、大怪我やずっと地面に這いつくばったままになる。できれば、周りへの助けの求め方も伝えたい。消防署の前で転んだ時は、職員さんにチェーンを直してもらった。輝く笑顔と工具でテキパキ作業する背中に惚れそうになった。

 

最後は自立である。行き先も、なにに乗るかも自分で決める。どんな挑戦をするか、失敗した場合の責任のとり方も自分で決める。車道に飛び込んだ日から、私は自転車に乗っていない。一番交通量が多い時間帯に、車が一台も通っていなかった。こんな幸運は続かないと思った。体調に不安を感じていたのもあり、自転車を手放した。後に意識の乱れが頻繁になった。もし乗り続けていたら、死んでいたかもしれない。状況によっては多くの人を巻き込んで。やめるのも、ひとつの選択である。

 

「若いうちに、失敗をするといい」首を大きく上下したい。しかし、失敗するチャンスがなかった人もいる。そんな失敗経験のない人に難題をぶつけるのは、赤ちゃんに歩道を誰の助けもなく1キロすすめと要求するのに等しい。学校や職場で教育が失敗した例を多く聞いたが、ほとんどの原因はこれだった。『相手に合ってない』言われたことをしろと教えられてきた人間に、自ら選んで挑戦しろというのは無理がある。選び方も立ち直り方も知らない。もし挑戦できても、失敗すればそこでエンドだ。相手の観察なしに、教育などできるはずもない。少なくとも、挑戦と失敗のサイクルを修得するまでは周りのフォローが必要だ。

 

転びながら自転車に乗れるようになった人は

骨折する危険性は低い。

 

<<2019年5月6日に続く>>

 

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