歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【病院スクランブル】視線を取り戻したい

視線を取り戻したい

 

2019年5月10日 自宅

 

やってしまった。避けられたミスを、3連続してしまった。これは注意力が品切れしている。このまま続けても、ミスの記録が更新するだけだ。原因はなにかを、過去の世界に意識を放り込んで追体験してみる。帰還、理由はわかった。頑張り過ぎと飽きだ。身体に疲労がたまっている。そして、新しい分野を学びはじめ喜んでいた脳が、「刺激的じゃなくなってきた」とテンションダウンしている。必要なのは、休息と新しいやり方だ。調整に半日かかった。

 

注意力が高まる時、たいてい興奮している。楽しいとか、怒っているとか正負は関係ない。周りが見えにくくなる欠点はあるが、学習する上で感情を利用すると、注意力アップにより効率は上がる。だが、いつまでも続くわけではない。人間は慣れる。どんな喜ばしいことも、どんな苦しことも毎日続けば慣れてしまう。

 

だれかに好きになってもらうとプレゼント攻勢をして失敗するのは、相手が慣れるからだ。驚きのない刺激はいつか薄れる。好きなお菓子が好きだからと、毎回同じではいけない。相手の好みをリサーチして嫌いなものをはじいいた後に、新しい味をちょっと混ぜる。似た味の別のお菓子を渡してみる。変化なしで好かれようとは、考えが甘すぎる。相手の視線を引き寄せ続けるのは、近しい人だって難しい。むしろ自分に甘えがあるので、難易度はむしろ高い。別れる人がよくする勘違いは、好意は減らないと思っていることだ。残念ながら、何もしなければ日々減少していく。言葉を贈り、相手が喜ぶサプライズを届け、同じ時間を過ごす。できなければ、子供に顔を忘れられた仕事人間と同じ立場になる。視線が自分に向けられたとしても、冷めきっている。

 

疲れも注意力には大敵である。慣れは注意力を下げてしまうが、疲れは注意力を消滅させる。疲れ切ってしまえば、フラフラで集中どころではない。

 

別れる寸前の二人が無口になるのは、関係に疲れ切っているからだ。もはや再構築する気力がない。これは、親子関係でも変わらない。視線を逸らし合う前に、お互いに気力を補給する必要がある。関係を良くするのを優先すると、空回って状況は悪化する。心が不安定な時の話し合いは、まずこじれる。平常心で語り合えるだけの、気力と体力を取り戻すのが先だ。冷静さを取り戻すために、少し距離を取るのもありだ。それで、別れとなってしまってもいいじゃないか。死亡率のデータでは、心許しあえる家族がいる人の寿命は長く、次が独り者、最悪なのは日々に生活がギスギスしている家庭が不仲な人だ。無理矢理な関係継続は、不幸の入り口である。

 

人間関係でも、学習でも、注意を引き続けるのは工夫がいる。むしろ、工夫することを習慣にする。そうすれば突然に別れを告げられて、やけ酒をあおるなんて結末は避けられる。と、言えないところが人間関係の難しいところだ。学習は自分の観察だけなので、工夫をすれば成果が帰ってきやすい。だが、人間関係は条件が複雑すぎる。ゲームボーイのポケモンとポケモンGO以上に環境差がある。計算通りにはいかない。視線を引きつける工夫と、上手くいかなくても沈まない精神が必要だ。ただし、工夫をしなければチャンスはない。

 

おいしい料理は、すべて手間がかかっている。

しかし、すべての人がおいしいと言う料理はない。

 

<<2019年5月11日に続く>>

 

視線は人を殺すか―小説論11講 (MINERVA歴史・文化ライブラリー)

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