見直しは終わらない
2019年5月11日 自宅
誤字があった。よかった、投稿前に気がついて。これだから文章の見直しはやめられない。最初はのたうち回りながら、自分の書いた文章に向き合っていた。今でも気恥ずかしさは変わらないが、他人事の目線で読めるようになった。そんな私でも、半年前の文章はツラい。頭からプールに飛び込み、そのまま沈みたくなる。直したいところが嫌というほど目につく。だが、できない。過去にWeb小説が再連載され、以前との違いにガッカリした経験が幾度もあるからだ。誤字、脱字以外はまず直さない。そう決めた自分に、深く後悔した。
人間はミスをする。だから確認は必須だ。けれども、見直しが終わらない分野がある。見直しを完璧にしようとすると、いつまでたっても終わらない。どこかで見切りをつけなければ、永遠にピリオドは打たれない。
「もう少し上達してから、発表しよう」
「人に見せられるレベルじゃない」
「時間がなくて完成できない」
公表せず、お蔵入りになるだろう。完璧を目指すと未完成になる。世の天才と言われる人だって、最初からパーフェクトではない。発表しながら腕を上げていく。例は作家でも、画家でも、漫画家でも誰でもいい。10年以上活躍している人の作品を、年代別に見てみれば歴然だ。年々、どこかしら向上している。逆に言えば、向上しない人は10年以内に消えている。
誤字、脱字のように見直せばすぐ正せるものは、完璧を目指したい。だが表現方法やアイディアは、見直す基準すら明確にない。見直したものが、元より悪くなる可能性だってある。少なくとも、時間単位で成果が変わるものじゃない。公表しながら磨かれていくものだ。
早めに公表する利点がひとつある。批判慣れだ。注目が集まれば集まるほど、批判も多くなる。作品の出来や思想は関係ない。むしろ素晴らしいものであるほど、痛烈に批判される。こちらも終わりはない。マザー・テレサやガンジー、キング牧師だって人類が滅びる寸前まで、永遠に批判される。批判で才能を潰された人は多くいる。ネット上でも心無い感想で、連載が断絶した面白い作品がいくつもある。そうなる前に、批判のダメージに慣れておくことだ。
創作、企画、起業など、見直しにきりがない分野は数多くある。「100%理想通りになったら始めよう」では、スタートの鐘は鳴らない。粗があっても、どこかで踏み出さないと土俵にすら上がれない。理想との違いに傷だらけになっても、前に進むしかない。
失敗作のない、芸術作品は存在しない。
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