歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったり生きる』

【病院スクランブル】不調に慣れるな

不調に慣れるな

 

2019年5月17日 洗面台前

 

「昨日から、顔色悪いよ」

 

そうなのか。自分ではまったくわからない。そのまま伝えたら、鈍いとか自己管理がなってないとか言われた。そんなことはない、と反論したくなった。だが、元気だと言い張るには根拠が少なすぎる。反省しますと頭を下げた。イマニミテイロ。

 

人間は慣れる生き物だ。幸せも、不幸せも区別なく当たり前になる。人生トラブルを耐えるために有効ではある。けれども、異常に気づきにくい弱点にもなる。”正常化バイアス”も、この性質の影響を大きく受けている。

 

「唇が紫色だ」

「顔の色が白どころかドス黒い」

「サクサク動いているから痛くないと思った」

 

実際に言われたセリフである。どれも言われるまで、自分ではまったく気づかなかった。皮膚が敏感すぎるので、基本ノーメイクで過ごしている。石鹸で落とせる肌に優しい化粧品でもダメージを食らうので、パーティーや式典でもない限りすっぴんである。そんな私が鏡をじっくり見るのは寝起きの洗顔時と、食後の口元チェックぐらいである。顔の変化が最もわからない。痛みは常連さんなので、ねんざ程度の苦痛では動きに支障はない。どれだけ朝チェックをしても、わからないものはわからない。

 

そんな私を助けてくれるのが、家族や友人に医師などの他者だ。ある程度のことは気力で押し通すタイプなのがバレバレなので、こまめにチェックしてくれる。そして別れ際にいろいろ言われる。選ばれる言葉は違っても、意味はいつも『無茶をするな』である。なぜか「もっと頑張れ」と言う人は、1年に1回も会わない。適当に生きているので、思わぬ評価に戸惑いながら「ありがとう」と伝える。心配させる自身の不甲斐なさ3割、感謝7割である。結構サボっているし、ゲームやアニメに映画も楽しんでいると訴えるのに、それでも対応が変わらない。先月なんて精神科医に「真面目すぎる」と目だけ笑ってない微笑みで説教された。アガサ・クリスティー並にミステリーである。

 

「自分のことは、自分が一番わかる」

「自分のことは、自分が一番わからない」

 

まったく反対の意味だが、どちらも正しい。感じたことを100%共感できるのは、自分だけだ。けれども自分の顔のように、どう頑張っても見えないものもある。見えないものは、誰かに教えてもらうしかない。

 

慣れも見えにくい対象のひとつだ。「口癖は他人に聞け」なんて言われるのも、無意識にまで落とし込まれた状態は気づきにくいからだ。幸せ慣れは恐ろしい。健康を無くしてから嘆く人は、病院に行けばゴロゴロいる。不幸慣れはもっと恐ろしい。ブラック企業で働き続けてしまうのも、理不尽に慣れてしまうからだ。一ヶ月目の社員教育に、労働基準法違反が当たり前だと思い込ませる仕組みを混ぜている会社もある。

 

幸せに気づき、不幸せを受け入れないためにも慣れは禁物である。慣れないためには、多くの人と交流し苦言を頂くのが手っ取り早い。激辛料理を食べたあとのように心がヒリヒリするが、どん底に落ちるよりはよっぽどいい。厳しいことを言ってくれる人が周りにいてくれるかどうか。それが人生の分かれ目だ。

 

停電になって

やっと電気の有り難さに気づく。

 

<<2019年5月18日に続く>>

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

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