歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【病院スクランブル】現実世界への復帰がツライ

現実世界への復帰がツライ

 

2019年5月26日 電車

 

席に座っているだけで、太ももがプルプルする。意識を飛ばし、目覚めたのは昨日だった。今回は3日間で済んだ。ベッドで寝転びっぱなし、トイレにのみ入っていたらしいが、記憶が真っ白なノート状態だ。私の感覚では半日しかたってないのに、身体が思うように動かない。最新のスマホを使っていた人間が、3年前のスマホに無理やり交換させられた感覚に近い。本音を言うなら、今日は一日中家でゆっくりしていたかった。けれども、予定は待ってくれない。ギシギシする身体を誤魔化しながら、目的地に向かった。

 

病み上がりは健康、不健康の別なく大変である。いつものように行動することは出来ない。病気の症状が無くても、ほとんどの人は完全に治っていない。少なくとも、回復するためにエネルギーも栄養も消費している。失われたエネルギーと栄養を補給するまで、元気な時と同じ活動量を目指すのは無謀だ。気力、体力が劣っている前提で過ごさないと、特大トラブルと病いのぶり返しを味わうハメになる。

 

私なんぞ、まず症状ナシがない。マシ、痛い、めちゃくちゃ痛いの3パターンだ。しんどさ0なんて、全身麻酔か意識が朦朧としている場合のみである。おかげで体のコントロール調整には自信がある。だいたいノーマルモードでも、まっすぐ歩けない。思ったところに手が動かない。いつだって、予想よりも数センチはズレる。体調が悪化するとズレの範囲も広がる。調整しなかったら階段から落ちるか、車道に飛び出して入院である。こんなのが、よく自転車に乗れていたなと我ながら感心する。

 

意識を飛ばした後は、もっと面倒だ。筋肉がよろよろモードになる。ペンを持つ指が震える。支えがないと立ち上がれない。仕舞いこんだ杖を、思わず取り出したくなる。以前、主治医に「筋肉は3日で弱る」と教えてもらったので覚悟はできている。だが覚悟と実際の運用は別である。心構えが出来ていても、大変なものは大変である。

 

泣き言を叫んでふて寝したくなるが、誰も代わりに動いてくれない。ため息をひとつ吐き出したら、意識の切り替えである。ちなみに愚痴も言わずに立ち向かおうとすると、じわじわ気力が減っていく。毒を食らった戦士のように、延々と地味なダメージを受け続ける。嫌も、苦しいも、面倒な気持ちも適度に吐き出さないと自家中毒を起こす。強がりは踏ん張りには有効だが、日々の生活に利用するにはリスクがでかい。

 

まずはストレッチと消化の良い食事である。「筋肉を戻すぞ」と病気前と同じように動こうとしたって、動きはしない。「体力回復だ、栄養をとろう」とドカ食いすると、消化にエネルギーを奪われる。車と同じく急加速は体に負担が大きい。慣らし運転でじわじわスピードを上げなければ、本領発揮前にエンストである。手術後の患者が重湯から食事を始めるように、しんどくない量から徐々に普段の量に戻していく。

 

予定もすき間をいつもより30%は空けておきたい。休憩時間を増やしたり、栄養補給タイムも作りたい。復帰時は遅れた分を取り戻したい、そんな気持ちになる。だが、焦ったまま作業するとほぼ失敗する。焦りを含んだ決断なんて、ろくな結果を産まない。たださえ作業が遅れているのに、余計な問題が追加される。そこで無理をすれば、お布団に逆戻りである。最優先すべきは、体調だ。

 

病気の最中は異世界に近い。いきなり重力が少ない似た世界に、苦痛と一緒に放り込まれたようなものだ。見るもの、聞くもの、どこか違う。現実世界に戻った瞬間、苦痛は消えるが軽い重力に慣れた身体が悲鳴を上げる。現実世界の重力に慣れるまで、いつもどおりには動けない。宇宙ステーションにいた人が地球の重力に適応できるようリハビリする、そんな時間が必要だ。

 

病気は、治りかけが最も危険である。

 

<<2019年5月27日に続く>>

 

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