歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【病院スクランブル】言った、言わない問題は終わらない

言った、言わない問題は終わらない

 

2019年6月4日 自宅

 

「昼から食事会に行ってくるね」

「聞いてないぞ」

「1週間前も、3日前も、昨日も言ったよ」

「いや、聞いてない」

 

最後まで、意見の一致はなかった。

 

記憶というのは曖昧だ。自分の記憶ですら時間とともに忘れたり、イメージが変わったりする。他者の記憶なんて、もっと当てにならない。覚えてくれている保証もなければ、伝えたことがきちんと届いている保証すらない。確認と記録は不可欠だ。

 

「聞いてない」、前もって予定を伝えたのに否定されるとイラッとする。どれほど無駄に言い争っただろう。1ヶ月前、1週間前、3日前、前日、当日と5回に分けても伝えても無くならなかった。それでも「聞いてない」と言い張られた。考えた末に、共通のスケジュール帳を作り設置した。「ここに書いてあるでしょ」と反論できるようになった。そこまでしても言った、言わない問題は無くならなかった。だが、議論で時間を浪費することは無くなり、日々のむかつきポイントも減った。

 

ハッキリ言おう。勘違いも、記憶違いも無くならない。相手が覚えてくれていると期待する限り、イライラを抱えるハメになる。それならば、相手が忘れる前提で対策をねったほうがいい。少なくとも、「教えてもらってない」とか「あんたの言い方が悪い」とか理不尽に逆ギレされる展開は避けたい。きちんと伝えれば、相手が納得してくれるなんて幻想だ。裁判と同じく、確固たる証拠が無ければ誤りを認めない。証拠が無くても間違いを素直に認められる人は、めったにいない素晴らしい人だ。レアリティUR(ウルトラレア)である。

 

とは言っても、ある程度のミスは受け流すほうがいい。「伝え方が悪かったね。ごめん」と言ってしまえば丸く収まる。ただし、限度がある。非がないのに謝り続けると、無意識部分でストレスが蓄積されていく。どれほどスルーしたつもりでも、部屋のホコリと同じくジワジワ貯まっていく。そして、いつか怒りが爆発する。私も30回目ぐらいで反論してしまった。そして30分ほど言った、言わないの虚しい論争を繰り広げた。まだまだ未熟である。

 

同時に反省もした。こちらが毎回、非を被ったから相手が図に乗った。常に私が折れると勘違いさせてしまった。もっと早くに、忘れられてもイラッとしない対策をすべきだった。「伝え方が悪い」も真実の一面だが、それを伝え続けることで『言われたことを忘れてもマイナス面はない』というメッセージを暗に送ってしまった。スルーを続けるのではなく、試行錯誤を最初からすれば良かった。もめない対応が常に良いわけではないと学ぶ機会になったが。

 

伝達ミスを避けることはできない。時間が経てば経つほど、関係する人が多いほど誤解が増える。だからこそ、考える。「どうすれば、忘れても問題のない態勢を作れるか?」トラブルが起こってから対応するより、よっぽど円滑に物事がすすむ。忘却という、自然の摂理に逆らうよりも易しい。

 

災害対策は、最悪のパターンを想定する。

 

<<2019年6月5日に続く>>

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