歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【病院スクランブル】没頭は鎮痛剤である

没頭は鎮痛剤である

 

2019年6月7日 自宅

 

私は物語が好きだ。ジャンルも表現方法も関係ない。フィクション、ノンフィクション、SF、ホラー、恋愛もの、面白いならなんでもいい。文章、漫画、映画、ゲームもオールOKだ。同人誌やネットの作品も楽しむ。エロ、グロなど明るい喫茶店で話すのは難しいジャンルも手を出している。男性向け、女性向け、幼児向けも気にしない。

 

唯一の例外は、音があるホラー作品だけだ。小説や漫画ですら昔は読めなかった。高校時代に小説『リング』に出会わなければ、今でも苦手だっただろう。PSゲーム『バイオハザード ディレクターズカット』は怖すぎてクリアできなかった。ゲーム実況動画で『零』を楽しめても、これは再挑戦する気にならない。ハリウッド版『バイオハザード』は大丈夫だった。あれはアクション映画と認識している。

 

そんな物語好きの結果、活字中毒になった。それでも健康だったら、活字中毒にはなっていない。今ではインターネットがあるが、当時は動画を自宅で再生する機会がなかった。テレビの録画も、もちろんできない。時間を気にせず楽しめる物語が本しか無かった。昔のドラマで病人が皆、本を持っている理由である。

 

病人というのは暇である。痛かったり、しんどかったり、苦しかったりする。その感覚に耐えながら、ただジッと動かず我慢しろと言われる。意識だけでも逃さなければ耐えられない。だから、動けない人は本に走った。私は物語だが、科学に向かう人も、美術に向かう人もいる。多少動けるならば、絵を描いたり、文章を書いたり、裁縫をする人もいる。共通点は”ベッドの上で出来ること”だ。

 

「無駄な体力を使わずに、寝ていればいいのに」

 

残念ながら、体力がないと寝る時間すら減る。寝るのにも体力が必要で、身体が弱るほど睡眠時間が短くなっていく。だからといって睡眠薬は身体に優しくもないし、使い続ければ効き目が弱くなる。

 

「何もせずに横になっていればいい」

 

剣山の上に寝転んだ状態で6時間待機、それでストレスがたまらない人ならありだろう。痛みがなくてもボーッとしているのは大変だ。もし大変じゃないなら、座禅なんて修行方法はこの世に生まれなかった。

 

突き詰めれば、苦痛を感じているのは脳の潜在意識である。だから、苦痛から意識を逸らす。その方法の一つが没頭だ。好きなモノ、楽しいモノに集中していれば苦痛への感度が鈍くなる。注意点は、没頭しすぎてエネルギーを使いすぎないことだ。没頭している間は、他の事が目に入らない。苦痛だけでなく疲れも、眠さも、だるさも感じない。私の場合は空腹とトイレに行きたい欲求すら無くなる。薬と同じで、没頭という鎮痛剤も増えれば毒だ。

 

「どうすれば、苦痛が少なめで過ごせるか?」

 

苦痛にも人は慣れる。これは身体だけでなく、精神も同じだ。だが無意識の部分で傷は広がっていく。それが限界を越えると、重病になったり心を壊したりする。どちらも死に至る病だ。そうなる前に原因を排除する。排除できないなら、できるだけ負担が減るような対策を立てる。没頭は有効な手段の一つだ。

 

人は集中したモノに

大きく影響を受ける。

事実にではなく、起こった感情に。

 

<<2019年6月8日に続く>> 

リング (角川ホラー文庫)

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