歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【病院スクランブル】対面は制御不能

対面は制御不能

 

2019年6月9日 和食屋

 

今日はネットのオフ会だ。日本史好きが集まる会で、ほとんどの人が50代以上だ。そんなことは気にもしないが周りは嬉しそうだ。なかなか30代以下で日本史好きが参加することが少ないとみた。神社関係者の人を筆頭に専門家も来ていたので、本でも発行部数が少なかったり絶版で読めないようなマニアックな会話ばかりだ。私は『刀剣乱舞』と刀について、『織田信長公』が甘党で子供を大事にしていた説があるという2つの話をした。そして、今はソニーのカメラについて、元ソニー社員の人といっしょにカメラマンから解説を受けている。日本史からズレすぎているが面白いので問題ない。これだから、対面はやめられない。

 

対面というのは予想外の連続だ。話しの展開どころか、時間がどれだけかかるかすら未定だ。二次会が急に決まったら、どこに行くかも未定だ。だからこそ新たな発見や知識、探していた情報に出会うことがある。

 

人に直接会うのは気力も体力も使う。はじめての場所なら、信用できるかどうか確かめないと怖くて参加できない。「死と生の差に比べれば、すべてが些事(さじ)」スタンスで生きている私でも多少は緊張する。行った先で友人ができる派なので、90%はボッチ参加だ。帰る頃には友人が増えている場合が多く、そうじゃなくても「一人は自由でいいよね」タイプなので、どっちに転んでもOKだ。最近はネットで顔写真を出しているので「はじめて会った気がしない」と言われることが増えた。初対面の友人も、なかなか楽しい。

 

ネットは気楽だ。匿名で居続けることも出来るし、気軽に関係をシャットアウトできる。下着丸出しの格好でパソコン前にいても相手には見えない。家から一歩も出る必要がないので、エネルギーも最小限で済む。良いことばかりのようだが、最大の問題点がある。

 

視野が狭くなる

 

これが、どう頑張っても避けられない。インターネットは検索して、自分で探しに行くモノだ。つまり、予想を超えるものには出会いにくい。例えば、グーグル検索もシークレットモードにしなければ、検索者が好むような情報が上位に来るように設定されている。Amazonのおすすめ商品に近い仕組みだ。自分と異なった意見を探そうとしても、どうしても目に入るのは偏った情報だ。偏った情報を元に物事を考えれば、事実から大きくハズレる。自分にとって心地よい情報だけに触れていれば、イライラしないしストレスもたまらない。その代わり、いつか判断ミスで痛い目をみる。

 

情報の発信源は、現状のところ人間だ。それゆえ多種多様な人と出会うほど、事実に近づける。人との出会いは、本との出会いと近い。本はネットで探している限り、どうしても触れたことのあるジャンルが多くなる。書店や漫画喫茶、図書館などに通っていれば、自分の読んだことのない分野が目に飛び込んでくる。すると不思議なもので、無性に心惹かれる書籍が輝いてみえる。そういう存在に限って永久欠番になる。心を揺さぶることばに出会う。長い付き合いになる人も、だいたい同じだ。席が隣だったとか、並んでいた後ろの人だったとか、まったくの偶然からはじまることが多い。直に触れるという行為は手間だし面倒だ。けれども、それだけの価値はある。

 

ホンモノの味に出会いたければ

お店に出向くしかない。

例え、そのほとんどが

見せかけだったとしても。

図書館の主 1巻 (芳文社コミックス)

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