歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったり生きる』

【病院スクランブル】底を知らない恐ろしさ

底を知らない恐ろしさ

 

2019年6月15日 会議室

 

禅の勉強会に参加した。官僚だった親が子供を殺す、そんな事件があったばかりだったので子供の教育と命についての話が中心だった。『学力でしか子供の成長を認めない家庭が、どれだけ苦しくツライものなのか』を生々しく語られた。特に強調されたのは劣等感についてだ。どれほど多彩な才能がある人でも、劣等感が植え付けられると才能が芽吹かず枯れてしまう。若年層の自殺が増え、未成年の行方不明者が毎年1万5千人を超えている。その日本の現状を思い出さずにはいられなかった。

 

数字に現れやすいスキルは認められやすい。学力しかり、部活動しかり、学生時代にホメられやすい才能を持っていると有利ではある。だが、とんでもない落とし穴がある。挫折を経験できないことだ。幼稚園の頃に転んだことのない子が青年期にはじめて転んで骨折するように、精神的な受け身がとれない。

 

『若いうちの苦労は買ってでもしろ』という言葉がある。成人までの苦労で心身ともに荷物を抱えた。そんな私からみれば、苦労にも限度はあると言いたい。それでも否定をしようとは思わない。心の打たれ強さは、底から這い上がった経験に比例する。

 

例えば、私は余命半年を宣告されたとしても「ついに来たか」「半年間、なにを楽しもうかな」としか思わないだろう。死に何十回も触れているので、恐怖が無くなったわけではないが動揺するほどでもない。元々「20歳まで生きられる保証はない」と宣告されたこともあるので、今の人生はボーナスステージのようなものだ。若くして亡くなる人にも出会う機会が幾度かあったので、そこまで長生きへの期待もない。だからこそ、日々を楽しく過ごせている。

 

激痛が走る免疫の病気を抱えて「いつまで生きられるだろう?」なんて考えだしたら底なし沼だ。実際に私と同じ病気を苦にして心を壊し、衰弱死または自殺する人達もいる。医師向けの線維筋痛症の解説に『自殺率が高い』『絶望しないようにフォローする』『場合によっては精神鑑定を受けさせる』と書いてあるのには苦笑するしかなかった。どおりで線維筋痛症を宣告された時に「これで二度と仮病と言われないと思うと、嬉しくてたまりません」と笑顔で返したら、医師がポカーンと口を半開きにしたはずだ。これまで泥水を嫌というほど被った経験の成果である。

 

適切に身体を鍛えれば丈夫になるように、精神も鍛えたかどうかで強度が変わる。劣等感に襲われたり、一生モノのトラウマを抱えるほどの苦難を味わう必要はない。むしろ全力で逃げてほしい。けれども、成人までに苦労は経験したほうがいい。成人してから初チャレンジでトラブルを乗り越えるのは、山登り初心者に富士山の頂上を制覇してこいというようなものだ。途中で力尽きるのは目にみえている。都合よく、救助者が現れる保証もない。遭難したくなければ、できるだけ早く失敗することだ。人生で大きな失敗がない人生は宝くじ1等よりもレアだ。どうせ失敗するなら早く経験したい。年齢が高ければ高いほど、ダメージが大きくなる。体力の衰えは精神力も削る。気力、体力が充実していれば立ち直りも早い。

 

転落する階数が高いほど

ダメージも深い。

 

参考:警視庁生活安全局安全企画課(平成30年6月)

『平成29年度における行方不明者の状況』

https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/fumei/H29yukuehumeisha.pdf

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