歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【病院スクランブル】解釈違いで信用マイナス?

解釈違いで信用マイナス?

 

2019年6月16日 会議場

 

「いい話だった」

「感動した」

「ちゃんとしなきゃね」

 

勉強会の後に意気投合したので、喫茶店でお茶をすることなった。いつものように全員と初対面である。年齢も職業も性別もバラバラだが会話には困らない。共通点が一点でもあれば、なんとでもなる。楽しい時間を一時間ほど過ごした。だが、内心引っかかるものが残った。「今日の話と真逆のことを言ってませんか?」、何度かツッコみたくなったが、私の解釈違いの可能性もある。喉に魚の骨が刺さったような気持ちを抑えて、口をつぐんでいた。

 

習慣や経験から出来上がった癖は、本人が意識しないと抜けない。これは行動だけでなく、言葉や思考も同じだ。特に『自分を棚上げ』が厄介だ。人は言い訳の天才なので、自分にとって都合の悪い事実に眼をつぶる。そのための言い訳は作家並みに巧みだ。

 

勉強会やセミナー後によく当たるのが、『言ってることすら一致していない』パターンだ。さっき「素晴らしい」と言っていたのは幻聴ですか。そう指摘したくなるほど、考え方に矛盾が生じている。「みんなと仲良くしないとダメだ。ただし、あいつだけは例外な」と屁理屈をこねるような展開が多い。しかも、語っている本人はその歪さに気づいていない。ひどいパターンだと周囲も気づいていない。最悪は講義の語り手の論理が破綻している時だ。気づいた瞬間に話を聴く気が半減する。質問コーナーで矛盾点を聞いても、恨まれるだけで利点はない。仕方がないので思考実験の時間にする。「どうして講演者と周囲の人は矛盾に気づかないのだろう?」たいていはお金を稼ぐためというヤレヤレな事実に行き着く。おかげで詐欺やウソを見抜くスキルは上がった。使った時間と体力、お金はどんな時も無駄にしない主義だ。

 

発言の 矛盾を指摘しない理由は2つある。ひとつは言っても無駄だから、もうひとつは解釈違いだ。

 

自分にも言えることだが、発言を否定されて嬉しい人はいない。そして、真っ当な批判でも受け入れる人は極少数だ。自ら気づかないと直せない思い込みもある。相手が受け入れる体制でない限り、言えば言うほど逆効果になる。ほとんどの場合、相手が自身で気づくまでソッと見守る。

 

解釈違いは自分の信用を落とす危険性がある。こちらを試すために、わざとおかしな発言をする人もいる。言葉の裏に本音を隠している人もいる。それに気づかずに指摘すれば、『底が浅い人だ』と見限られるだけだ。そんな危険をわざわざ犯す気にはなれない。

 

議論で勝つのは楽しい。自分が正しいと証明できた気分なる。だが後の結果からみれば、意味がないどころかマイナスだ。たとえ議論で負けても相手は納得しない。意見を変えるどころか、より自説にしがみつく。自分でも間違っていると感じていても、負けた悔しさや恨みから認めることができない。そして、話はこじれる。会話しないほうがマシだった、という残念過ぎる結末になる。まず相手の話を聴き、その後こちらの意見を伝える。この方がよっぽど建設的だ。相手の意見の否定はマイナスの結果を生む。だいたい、他人の間違いを指摘しても自分にとってプラスにならない。得るものは一瞬の気持ちよさだけだ。その代償は想像以上に重い。

 

最も恨まれる発言は、正論による否定だ。

図星を突くほど、相手を怒らせる行為はない。 

 

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