歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【病院スクランブル】紅葉のように去る

紅葉のように去る

 

2019年7月7日 某所

 

「ありがとう、さようなら」

 

感謝と別れの言葉告げて、ドアに向かった。言葉にはしていないが、今までのように頻繁に来ることはもうないだろう。相手は気づいていない。自然と忘れられるように去ろうと決めていたのでホッとした。しばらく顔を出さなくても「体調が悪いんだな」と思われ、日々の生活で印象が薄れていく。特に理由を言う必要がないのが難病持ちの利点だ。

 

人との出会いは別れがセットだ。一生、深く付き合える人数は片手で余ることも少なくない。なんとなく離れることもあれば、「何かが違う」と落ち着かなくて自ら離れることもある。相手から別れを告げられることもある。別れは必ず起こる人生イベントだ。ただ、離れ方は気をつけないと物語になるような修羅場を呼ぶ。

 

なんとなく離れる場合、相手から別れを告げられる場合、どちらも引き留めは難しい。無理やり引き留めようとすると、たいてい歪な関係になりトラブルが発生する。その結果、生涯に残るような傷が残る。離れることを受け入れていればあった、緩やかにつながり続ける可能性も、また出会える可能性も消え去る。

 

自ら離れる場合は工夫が必要だ。人は去るモノは追いたくなる。無くなるものは惜しくなる。片付けられないタイプの人が陥りやすい心理は誰もが持っている。だから、唐突に別れを告げるとまず揉める。1回で納得してくれることは、まずない。

 

私は1度、大きな失敗をした。ある人に付き合いきれないと感じたので、別れを告げた。相手にとっては予想外だったようで、了承を得るのに電話で4時間かかった。その後も未練のチラ見せが、物理的に離れるまで続いた。高校時代の話だ。そのとき身にしみた、「別れは自然消滅狙いが平和だ」と。

 

どれほど繋ぎ止めようとしても、どうしようもないときはある。叔父は無理に寿命を引き伸ばされて、「死にたい」が口癖になり苦しみぬいて亡くなった。34年前の記憶だが、あの全てに絶望した顔は今でも覚えている。

 

人が離れるのは必然だ。だからこそ、共に過ごせる時間を大切に過ごす。そして、別れの時はあくまで自然に、美しさと少しの寂しさを思い出させる紅葉のような去り方でありたい。

 

人の印象は去り際で決まる。

 

紅葉ハンドブック

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