車は無駄なのか?
2019年7月12日 歩道
道を歩く。
いたい。
足を進めるたび
ミシミシ響く。
こんな時は車がキラキラ輝いてみえる。車だって揺れはあるので、痛みはゼロではない。けれども、歩くよりはよっぽど優しい。歩くのは余病の役に立つ。されども、負担が大きいものだ。
「車なんていらない」
「温暖化の製造機だ」
「もっと環境に優しい乗りものを」
電車やバスなどの交通機関がある街に住んでいる人や、痛みもしんどさもなく歩ける人はいい。だが、田舎に住んでいる日に車を手放せというのは酷だ。また身体が弱っている人にとっては、1キロがとてつもなく長く感じる。重い荷物があったらお手上げだ。「家族に助けてもらえばいい?」、一人暮らしの増加は年齢問わずだ。
「エコな車を使えばいい」
電気自動車の購入金額も、維持費も安くない。だいたいスタンド数が少なすぎる。ハイブリット車にも言えることだが、バッテリー処分の問題もある。とても今すぐ代替できるものじゃない。水素自動車もまだまだかかるだろう。そして初マグロと同じく、出だしは目が飛び出るほど高い。多くの人が使えるまでにかかる年月は短くないだろう。
自身の生活に車が必需品でないならば、「車なんて無駄な存在だ」というのは正しい。だが、車がなければ日々の買い物にすら困る人たちがいる。その人たちにとっては、車は靴に等しい。
「車の自動運転化でバスがグルグル回るようになればいい」
ハッキリ言おう。地方自治体にそんなお金はない。水電気ガスに通信のインフラ維持すら危ぶまれる予算なのに、自動運転のバスを導入するお金がどこにあるのか。高齢者の事故が増えているのに、免許返納が進まない理由だ。代わりに新型車の自動ブレーキの義務化が2021年から始まる。これは、国が高齢者の免許返納の進展を半ば諦めたということだ。
事実は1つでも、ものの見方は様々だ。立場が変われば意見も変わる。何かを判断する前に、せめて「逆の意見の人は、なぜこの結論になったのか?」という質問を自らに問いかけたい。
真夏の日陰は天国だが
真冬の日陰は地獄だ。
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