歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったり生きる』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】失敗なしで学べますか?

失敗なしで学べますか?

 

2019年7月14日 レストラン

 

ある昼食会に参加した。参加者に学校の先生がいた。教育問題がニュースになることが多いが、実際にどうかがよくわからない。これはチャンスだ。軽く雑談で警戒を解いてもらって、本題に切り込んだ。結果、わかったことはニュースが事実のすべてではない。けれども、大きく的外れでもないことだ。子供の相談に乗りたくても時間の余裕が欠片もない、先生の苦悩が伝わってきた。

 

勉強の基本は失敗だ。間違えるほどに理解が深まる。簡単に正解すると問題への興味が薄れやすい。きちんと理解できているならいいが、丸暗記やわかったつもりなら間違えた方がよっぽどいい。失敗は学びを呼び込む風だ。

 

しかし、日本の学校は失敗を恐れる教育だ。むしろ失敗を喜ぶどころか、ダメ出しの嵐だ。その結果、自ら学ぶことができない、暗記でテストを乗り越える人間を量産している。当然の結果だ。言われたことを言われたとおりに行動していれば、嫌な思いをしなくて済むのだ。それなのに、社会に出たら「仕事は自ら学ぶものだ」と言われる。10年以上もするなと言われ続けた行動を、訓練もなく出来るはずもない。教育もなく、やれというのは無理が過ぎる。学生時代、先生に何度も言われたセリフがある。

 

「そこは試験に出ないから」

「大学で学ぶ範囲だから、今は考えなくていい」

 

教科書に載っている範囲を聞いたのに、これだ。しかも、面倒くさそうな表情とセットだった。私は気になりだすと眠れないタイプなので図書館と書店で調べた。もし本好きでもなく、素直な性格だったらあきらめていただろう。この経験で学んだことは、教科書ガイドオンリーで授業をする先生には質問をしないことだ。おかげで自分も、先生も時間を無駄に消費することはなくなった。なお、質問を嫌がる先生は一人ではなかった。

 

当時はイラッとしたが、今では先生も精一杯だったのだと申し訳ない気持ちになる。仕事量が多すぎて、教材を作る時間も受験の範囲外を教える余裕もない。そんな時に大学の範囲を質問する生徒が来たら、面倒にもなるだろう。先生だって、人間だ。聖職とかかげて理想の行動を求めても出来るはずもない。労災認定者の多さと教師志望の減少が仕事の過酷さを物語っている。

 

学校が頼れない以上、家庭や周囲が失敗の素晴らしさを語るしかない。成人しているなら、失敗を喜ぶ習慣を身につける。状況に文句をいくら言っても、現実は変わらない。そんな時間があるならば、失敗を恐れる意識を変える行動を3秒でもする方がよっぽどいい。自分を変えられるのは、結局のところ自分だけだ。他人が出来るのは手助けが限界である。

 

科学の実験は、失敗の連続だ。

失敗の先に、真理に近づく光がある。

 

失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!

失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!

 

 

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