歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】本は気楽に読めばいい

本は気楽に読めばいい

 

2019年7月24日 飲食店

 

「どうすれば、本をたくさん読めますか?」

 

本好きのせいか、よく尋ねられる。そんな時は、まず聞き込みから始める。相手の好みも得意分野もわからずに応えられない。「簡単な本から試す」「好きなモノに近い所から選ぶ」のような一般的なアドバイスは聞き飽きている。それ以外を知りたいから質問している場合が多い。個人、個人にあった情報提供は相手を知らなければできない。

 

読書が苦手な人は、たいてい真面目すぎる。なんとかしようと読書力を上げる情報を探す人ほど硬すぎる。「~しなければいけない」「~がいいらしい」など、周りの意見に振り回されて泥沼にハマっている。むしろ「読めなくてもいいや」と軽く考えている人の方がすぐに読書する力を上げていく。残念ながら、読書をゴールにしている限り能力は上がらない。

 

『楽しい』

『気になる』

『必要だ』

 

人が本を読むトップ3だ。読書はあくまで手段にすぎない。だから、「読書を習慣にする」という計画は最初から無理がある。どうせ考えるなら「どうすれば、本を読みたくなるか?」だ。どんな方法でも読んだ本の冊数が増えれば読書力は上がる。むしろ、読書の方法を知っていても本を読まなければ、いつまでたっても変わらない。楽器の演奏と同じで、身体を使わなければ能力は伸びない。

 

「紙の本じゃないと」

「机の前に座って」

「姿勢良く」

 

なぜ、さらに難易度を上げるのだろうか?

 

文章を読み慣れていない人は、読もうとするだけで気力を使っている。つまり、慣れるまではとても疲れる行為だ。それなのに決まり事を作ったら、余計に負担が増える。継続の可能性が激減だ。それよりも「寝転がってもいい」「全部読まなくてもいい」「文章ならば、なんでもいい」とハードルを下げる。続けられないものを修得することはできない。

 

読書は本来、とても気楽なものだ。一人で完結する行為なので、誰かにうるさく言われる筋合いはない。どんなジャンルを読もうが、どんなふうに読もうが自由だ。むしろ読みたくないなら、読まなくてもいい。読むのが早かろうが、遅かろうがどうでもいい。本から学ぶ義務もない。無理に多くの本を読む必要もなく、たった1冊の本を繰り返し読んでもいい。どこまでも読書は個人の自由だ。読書の難易度を上げているのは、人の思い込みでしかない。

 

強制された学びを、真に修得することはできない。

 

スヌーピーのもっと気楽に (2) のんびりがいい (朝日文庫)

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