なぜ古典がいいのか?
2019年7月26日 自宅
”ストイック”という言葉の元になったと言われるスコラ哲学の本を読んだ。今でいう自己啓発に近い内容が多い古典だ。古代ギリシャの時代のモノなので原文はとても読めない。日本語に翻訳されているものを手にとった。古典を読むたび、いつも実感する。人の心の動きは古代も今も変わらないんだな、と。
『古典にハズレ無し』
なぜならば、時代が過ぎても通用する原則が描かれているからだ。おまけに、運がいい本でもある。どれほど素晴らしい本でも運が悪ければ現代まで残らない。誰かの都合で燃やされたり、歴史の闇に埋もれたり、日の目を見ること無く消えた本はいくつもある。それを乗り越えて、現代に伝わっている。中身の質も、縁起の良さも超一級品だ。
人の行う事は何千年経っても、やり方以外は何も変わっていない。歴史や宗教や哲学など、人の心や行動を分析した分野や物語の数々に触れるたびに思う。文字として残っていないので、原始時代がどうだったかはわからない。だが、脳科学の研究成果から察するに、何万年前の人類も感情については現代人との違いはなさそうだ。思考は教育や環境の影響があるので多少の変化はあるが、根本のところに大きな違いはなさそうだ。喜怒哀楽の反応も、感情に刺激されて起こす行動も使う言葉や道具が違うだけの差しかない。伝達手段が手紙からインターネットに移っても、利用している人の行動原理は変化していない。
科学の進歩と人類の成長の差にヤレヤレな気分にもなる。しかし、変わっていないのはメリットでもある。世の中の流れが古典を知っていると読み解きやすいのだ。
政治、経済は個人では理解できないものだと思いがちだが勘違いだ。どれほど大きくても、1人が集まって出来上がった組織だ。つまり、決定には個人の欲がうごめいている。誰の決定権が強くて、なにを望んでいるかが想像できれば、いつ何が起こるかは細かくわからなくても、大まかな方向性はみえてくる。
この分析の仕方は国も、企業も、学校も、家庭も同じだ。人が3人以上になれば、必ず力関係が生まれる。その中心人物を掴めれば、大外れは避けられる。なお、発言はまったく当てにならない。注目すべきは、それぞれの行動と行動した結果だ。その情報が長期で綿密であるほど予測の精度は上がる。そして、予測の判断に使えるのが古典だ。人の心の動きを読む、そのための教科書が古典だ。人が自分の意志で決断している限り、古典は古臭いものにはならない。
『孫子の兵法』の戦術は、現代戦では使えない。
だが、人の扱い方は現役だ。
↓ ランキングに参加中です。