歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『ワイルド・スピード”スーパー・コンボ”』はスレ違いが多すぎる

映画『ワイルド・スピード”スーパー・コンボ”』はスレ違いが多すぎる

 

2019年8月2日 映画館

 

映画『ワイルド・スピード』の最新作を観にいった。予告編や広告が熱いアクションを期待させる編集だったので、どんなハードボイルドが展開されるかと思っていたら、カーアクションという名のホームムービーだった。元々、映画『ワイルド・スピード』シリーズのテーマのひとつは家族愛だと感じていた。だが、これほど全面に押し出してくるとは思わなかった。マッスルな格闘シーンと爽快感すら感じる車の魅力全開のシーン、それを一瞬で塗り替えるほのぼのシーンのギャップに笑いが止まらなかった。強面がこっそり猫に餌をやっていたのを目撃したかのような胸の高鳴りを味わった。

 

『人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見ると喜劇である 』とチャップリンが言葉を残したように、観客であるコチラにとっては楽しいシーンだが作品の世界では悲しいスレ違いの嵐だった。お互いを大事に思っているのに、タイミングや周囲が悪質すぎてどこまでもスレ違う。意見の違いでもスレ違う。どちらも間違っていないのが、どうしようもなくポツリと一人残されたかのように切ない。

 

ふと、思った。

作品の中だけでなく私達の世界も同じだな、と。

 

争いというのは、たいてい認識のズレで起こる。お互いにただ誤解している場合もあるが、誰かの意思で誘導されることもある。厄介なのが、一度スレ違ってしまうと後に誤解だとわかったとしても溝が埋めづらいことだ。傍から見れば極わずかのズレでも、諍いを望んだ人が目的を果たし去ったあとでも、一度出来たシコリはなかなか埋まらない。これは個人も組織も国ですら逃れられない。

 

どうしようもないと感じ、お互いの心の平安のために距離を置くのもひとつの選択だろう。近くにいればいるほど話がこじれる。だからこそ、お互いの頭が冷えるまで適度な距離を置くというのもありだ。だが、すべてが一時置きすればいいものじゃない。相手の考えを理解しようとする柔軟な心と気まずい関係でも話しかける勇気が必要な場合もある。どちらがいいかは、ケースバイケースだ。客観的に判断できないなら、誰かに相談するのもいい。

 

修復不可能なほどにこじれるパターンは3つだ。許されるはずがないほど愚かな行為をした場合、煽り立てる他者がいる場合、頭に血が上った2人が1対1で話し合う場合だ。3パターンとも片側、または両方が熱くなって余計な言動をして相手を怒らせて感情までこじれる。感情のこじれまで話が揉めると、まず関係修復は望めない。それどころか争いが周りに飛び火する。冷静さと客観性は、状況が深刻なときほど手放すと痛い目にあう。

 

映画『ワイルド・スピード』の最新作では、瞬きするのも惜しいほど状況が坂を転げ落ちるようにコロコロ変わっていた。スレ違いも解消されるどころか、さらに広がる観ているだけでハラハラする展開だった。退屈する暇のない作品なので、結末は映像で確かめてほしい。今回はバイクシーンも圧巻、アクションシーンは予告編では連想しづらい演出だった。脚本家がどこでこのネタを思いついたのか、聞けるものなら聞きたいものだ。

 

スレ違いがうまく修復されれば、

絆は元よりも強固になる。

 

ワイルド・スピード/スーパーコンボ (字幕版)

ワイルド・スピード/スーパーコンボ (字幕版)

  • 発売日: 2019/10/01
  • メディア: Prime Video
 

 

↓ ランキングに参加中です。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村