線維筋痛症に学ぶ証拠の作り方
2019年8月9日 自宅
身体の痛みで目がこじ開けられた。今日は線維筋痛症の活動期らしい。こういう日は大人しく横になっているしかないが、寝転んでいるだけでも自分の身体の重さで痛みが増えていく。だからといって、身体を動かそうとするだけで痛みが倍増する。だが、最初の頃から比べれば楽になった。どう動かしても痛いが、痛みが最小限になる動かし方がなんとなくわかる。たまに予想が外れて悶えることもあるが、激痛をさらに悪化させるような動きは避けられるようになった。味わいたくなかったものでも、経験の成果は偉大だ。
どれだけ本当のことを訴えても、信じてもらえるとは限らない。特にまったく付き合いのない他人に信じてもらうには証拠がいる。証拠があっても認められない場合もあるが、証拠がなければスタートにも立てない。
私の患っている線維筋痛症、この病気の厄介なところは通常の検査だと異常が発見できないことだ。コーヒーカップに1杯分の血を抜くほどの検査をして、数項目の異常が見つかる程度だ。医師の中にも、この病気を否定する人がいる。それなのに、なぜ病気と認められているか?
同じ症状の患者が多い。
症状が耐えられず、自殺や衰弱死が多い。
異常を訴える患者の多さと、間接的とはいえ死亡率の高さが認められている理由だ。「自殺をしたい」と思う患者の数は3割を超えると言われている。それほど、症状が重いのに医学データでは異常がでにくい。勘違いしている人が多いが、女性だけでなく男性にも患者はいる。私のように幼少期に発症する人もいる。
ちなみに、線維筋痛症だとわかる前は数えるのが馬鹿らしいほど仮病を疑われた。それが医師の診断が出た途端に、コロッと周りの態度が変わった。医師のお墨付きの効果は絶大だ。
私は思う。息ができないほど身体中が痛む。それなのに、周囲には「仮病だ」「怠け者だ」「サボりだ」と責められる。その環境が自殺や衰弱死する人を増やしているのではないか、と。線維筋痛症の患者は200万人いると予測されているが、そのうち線維筋痛症と診断されている人は1%もいない。「線維筋痛症だと知らないまま亡くなっている人がいるのでは?」、その可能性が頭を離れない。もし、この疑いが正しいならば線維筋痛症が原因で亡くなっている人はもっと多くなる。
世の中は残酷だ。どれほど正しくても、証拠がなければ認められない。その証拠も個人では弱い。社会的に信用度が高い医師や弁護士などの証拠とは個人では勝負にならない。そういうときは数に頼る。1人や2人では弱くても、100人を超えてくれば威力を持ち出す。そして、最後の手段が生死がかかっていることだ。状況が緊急であるほど、証拠としての価値は上がる。いじめの被害が悪口と流血沙汰では対応が変わった。
『信用度の高い職業人を味方につける』
『数を集める』
『深刻な状況を訴える』
どれかひとつでも証拠に含まれていれば、信用される確率は上がる。誰からみても正しいだけでは、証拠としては弱すぎる。
真実と証拠はイコールではない。
信用されなければ、嘘と同じ扱いになる。
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