映画『トルーキン』は創作の教科書
2019年9月1日 映画館
「昨日は、あんたに付き合った」
「今日は、そっちが付き合え」
まさかの2日連続、映画館である。当日に誘う悪癖がまったく治っていない。相手は映画狂の短気、元から期待はしてなかった。「字書きを名乗るなら観ろ」と言われては、行く以外の選択肢はない。ヤレヤレだ。
重い
昨日観た映画『引っ越し大名!』に引き続き、また予想を裏切られた。予告編が暗めだったのでシリアスは覚悟していた。その覚悟が甘かった。上映時間の半分が暗いエピソードだ。しかし、その暗さが本編の美しいエピソードを際立たせていた。
トルーキン氏は日本でも大ヒットした『ホビット』『ロード・オブ・ザ・リング』などの原作者だ。その前半生を描いた作品が『トルーキン 旅のはじまり』だ。この前半生が重い。貧困、母を若くして亡くす、戦争など重苦しい出来事だらけだ。一部、私も経験済みなので鑑賞中は心がギシギシときしんだ。
恵まれているとは言えない環境でトルーキン氏は創作を続けていく。その姿に、どんな分野であれ心がけたい姿勢を教わった。
まず、どこでも筆記用具を持ち歩いている。どんなに貧しくても、従軍中でも手放さない。アイディアはいつ降ってくるかわからない。こまめに書き留める姿に創作への熱意を感じた。トルーキン役の堅物な印象とのギャップが面白い。
次に仲間だ。仲間の大切さは一人で創作できる文字の世界でも変わらない。しかもトルーキン氏は文学を志す友人だけでなく、音楽や絵画など他分野の友人もいた。ただし、どちらも創作への熱量は高い。”類は友を呼ぶ”の”類”は同じ分野の人という意味ではなく、同じ心を持った人だと思わされた。分野の違いでトルーキン氏に与える影響に違いがあるのには唸らされた。
特に強く心に残ったのは『苦しみを味わう必要性』だ。トルーキン氏の前半生は苦難の連続だ。自ら望んで体験したわけではない。だが、その苦難が後に素晴らしい作品群へと昇華された。
幼少期の物語の中にいるかのような生活、仲間や恋人を得た喜び、それだけでは人の心を打つ作品は生まれなかっただろう。名作と呼ばれる物語に、悲しみを描いていない作品は存在しないのだから。
トルーキン氏の美しさを詰め込んだ作品は本人の飽くなき情熱と仲間の存在、そして自然豊かな故郷への郷愁と人生の喜びと悲しさが生んだのだ。映画『トルーキン 旅のはじまり』を観て、私は思いしった。
もちろん、トルーキン氏の才能は否定できない。言葉への繊細過ぎると言うしかないセンスは真似ができないものだ。けれども、その才能も磨かれなければ活かされない。人生の喜びや悲しみがトルーキン氏の才能を育てていた。
映画狂の友人の言ったとおり、映画『トルーキン 旅のはじまり』は字書きならば観るべき作品だった。字書きだけでなく、創作を志すすべての人におすすめの作品だ。当日に誘う友人の姿勢には苦情を述べたい。けれども、その作品を選ぶ嗅覚は尊敬している。言いたいことは山ほどあるが感謝を伝えたい。
「素晴らしい作品を教えくれてありがとう」
体験ではなく
心が震えたものしか
描くことはできない。
↓ ランキングに参加中です。