志賀直哉作『暗夜行路』は美しい
2019年9月5日 自宅
「志賀直哉を読んだことがないだと」
「不勉強すぎる」
友人にバカにされた。その一週間後、志賀直哉氏の『暗夜行路』を貸してくれた。とんだツンデレである。本嫌いにはツライページ数だが、活字中毒にはご褒美でしかない。ありがたく受け取った。
暗い。
この時代の作品は明るい作品が少ない。そして『暗夜行路』も救いはない。主人公の目線で感じれば、救いがあると考えられなくもない。けれども、他人目線でみれば不幸な話だ。しかし、不思議だ。暗い話にまとわりつく粘りつくような重さがない。きっと、風景の描写や人の心が美しいからだろう。
主人公の人生は救いがない。しかも、救いがないのは自分のせいじゃない。自分のせいなら納得のしようもある。だが、起きた出来事のほとんどが不運だ。主人公にも悪い点はある。けれども、主人公の行動よりも環境や周囲の人たちがひどすぎる。
この内容ならば普通、息苦しい作品になる。けれども『暗夜行路』は読む手を止めるような鬱々さがない。主人公の苦悩に胸は苦しくなるが、同時に心を励まされる心地になる。
人の欲望や身勝手さに振り回されても、主人公はあきらめない。どうにか前を向こうともがき続ける。しかも、目を逸らさない。目を覆いたくなるような現実を受け止めている。
その主人公のひび割れた心をつなぎとめてくれる。
それが、行く先々の風景だ。
主人公が旅する先の風景描写がただ美しい。その地に足を踏み入れたと錯覚するほど、繊細かつ丁寧な描写だ。面白いと感じたのは、その対象だ。たいていの小説では、美しい場所となると有名所を中心にする。観光マップでオススメの場所に指定されるようなところを対象に選ぶ。『暗夜行路』はココでも違う。たとえ訪れても見逃してしまいそうな、目立たないものに美しさを見出している。
ときどき登場する心温まる交流のエピソードがいい。作品の中で人間関係のほとんどは機能不全というしかない。けれども、ふとした瞬間、真冬に、こたつに足を入れた時のようなエピソードが現れる。自分勝手な人が多いからこそ、飾らない優しさが主人公の心を和ませてくれる。読んでいるこちらも慰められる。
読了後に私が受け取ったイメージは、泥に咲く蓮の花だ。思いどおりにいく人生などない。ひどすぎる人や不運なエピソードを『暗夜行路』の中で探す必要もない。現実でも見ないふりをしたくなる事実は山のようにある。だからこそ、どんな苦難が襲ってきてもあきらめない、そんな主人公の姿に勇気づけられる。
明るい話ならば、ここまで美しさは感じなかった。ヘドロのように異臭を放ちそうな人のずるさが克明に描かれていた。その現実的ではないと否定したくなるほどの酷さが、主人公の諦めない心や手を差し出してくれた人の優しさ、そして自然の美しさをより輝かせていた。
『暗夜行路』は志賀直哉氏の繊細な描写力があってこそ、美しい作品となっている。もし描写力のない作家が描けば重苦しいだけの作品にしかならない。『暗夜行路』に丁寧に情景を描く大切さを教えられた。
志賀直哉氏の小説を貸してくれた友人には感謝の言葉しかない。ありがとう。また、いい本があったら貸してほしい。だが、これだけは言いたい。いきなり1,000ページ近い法律本や江戸時代に書かれた瓦本を同時に渡すのはいい。ただし、渡して10日目に「まだ読み終わってないのか?」と言うは勘弁してくれ。そんな早くは読めない。本を貸してくれたお礼に、何でも自分基準で考えない心得を伝えたい。スパルタな友人は有り難いが、ツラくもある。人生とは苦難の連続だ。
ギャップが物語の肝である。
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