名言に頼りすぎない
2019年9月9日 自宅
私は名言が好きだ。偉人の言葉だけでなく、ことわざや四文字熟語が大好きだ。幼稚園の頃に学習まんがで触れて以来、定期的に名言集に目を通している。なお本と同じくジャンルはバラバラだ。時代や国や分野の違いで名言にも個性がでる。その違いがたまらなく面白い。
それだけ名言集を読んでいると、文章を書いている最中に「この部分には、あの名言がぴったりだ」と思うことはよくある。だが、実際に使うことは10回に1回もない。これには理由がある。
自分が使った名言を受け手が知っている保証がない。専門用語と名言は似たようなものだ。知っている人にはわかりやすいが、知らない人には意味不明な言葉の羅列だ。インターネットで公開する文章は誰が読んでくれるかわからない。意味のわからない文章を読みたい人はいない。だから、難しい名言はまず使わない。
よく知られている名言もめったに使わない。これは自分のためだ。名言は歴史の荒波を乗り越えて伝わったものだ。何百年の時が過ぎても多くの人が理解できる、わかりやすく簡単な表現ばかりだ。自分の頭をこねくり回した言葉よりも的確に受け手に言いたいことが伝わる。
けれども、名言に表現力を頼っている限り自分自身の描写力は向上しない。「なんて拙い文章なんだ」とへこむことばかりだ。それでも書き続けていれば、少しづつ描写力は増していく。
名言に頼る危険性は文章力の停滞だけではない。名言は過去に生まれたものだ。いつ時代遅れになり通用しなくなるか、さっぱり先が読めない。情報と同じで言葉も更新され続けている。古文の書き方で出版された本を読む人はごく少数だろう。過去を扱った小説や専門書も、読み比べてみれば文章の表現は時代とともに変化している。昔の表現に頼り切りは問題だ。
名言に任せた文章作成は楽だ。賢そうな印象を与えられる。勘違いをしていなければ表現のズレはおきない。しかし、それは手抜きの文章だ。いつか読者に飽きられる。読者が喜ぶのは、いい意味で予想を裏切ったときだ。名言のように、もう世の中に知られている表現ばかりでは読者の満足度は上がらない。
「何を伝えたいか?」
「どんなストーリー展開か?」
「どういう登場人物か?」
中身が最も大事だが、言葉も疎かにはできない。
読者の心は
借り物の言葉では響かない。
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