歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】人生はらせん階段

人生はらせん階段

 

2019年9月11日 自宅

 

「またですか」

 

身体の痛みがマシになったと思ったら、アレルギー症状がでた。これは仕方ないことだが、毎回ガックリする。身体の痛みがヒドイ時は免疫が弱っている時だ。免疫が弱っているので、免疫の過剰反応であるアレルギー症状はでない。逆に体調が良くなってくると免疫が戻り、アレルギー症状も戻る。どちらも楽な症状の時はめったにない。痛し、痒しだ。

 

問題の解決は次の問題の始まりだ。問題がまったくない時は生きている限りありえない。「今の自分に問題はない?」、それは気づいていないだけだ。水面下で問題は悪化していく。悩みのない世界など幻想に過ぎない。その悩みが幸せな悩みか、不幸な悩みかの違いだけだ。

 

問題がある事は悪い事じゃない。解決への歩みで人は成長する。成長できなければ、似たような問題を再び抱える。同じ問題ばかり降りかかってくるならば、自分の言動や考え方を見直すタイミングだ。

 

うまく成長できた場合も問題は無くならない。また次の、解決した問題よりも難易度の高い問題が降ってくる。また成長すれば、さらに難易度の高い問題がくる。人生はこの繰り返しだ。

 

問題の解決が嫌になって、現状を受け入れる場合がある。個人的にはアリだと思う。前に進み続けるのもしんどい。たまには足踏みするのもいい。少なくとも足を踏み外して転落するよりは。

 

私にとっては転落中よりも足踏み状態の方がツラかった。人生の転落中は「なんとかしなきゃ」と思えるので活動する気力はある。だが、足踏み中は特に危機感もないのでやる気がでない。苦しいまま、日々が過ぎ去っていく。あの首をじわじわ絞められるような閉塞感は二度と味わいたくはない。

 

人生はらせん階段のようなものだ。同じところをグルグル回ったり、踊り場で一休み、上に向かう階段が下向きだったりする。ただ、どんな状態でも足が止まることはない。足が止まる時は死ぬときだ。

 

病気、災害、死別など人生に訪れる問題は重大なものほどコントロールできない。こちらが出来ることは少ない。心と体を鍛える。知識に人脈にお金などのセーフティネットをつくる。どんな問題が来ても受けて立つ準備をするぐらいだ。

 

私のように生まれつき貧弱だと、体の強さはハンデ戦だが心の強さはシード戦だ。何らかのハンデがあっても、別の部分のプラスでイーブンになるようにできている。人生は厳しくもあるが平等でもある。

 

問題がないと感じる時は

嵐の前の静けさだ。

より大きな問題がくる前の

準備期間に過ぎない。

 

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