歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】出会いって不思議だな

出会いって不思議だな

 

2019年9月15日 休憩室

 

「私もよ」

 

涙がにじんだ笑顔が返ってきた。

 

今日は心理についての講演を聞きにいった。数年前にできた国家資格、公認心理師についての話だ。聞いた感想はアレだ。医学の世界は恐ろしい。資格成立までの医師会とのバトルが透けてみえた。医師会相手に劣勢を頑張った心理学会には涙が禁じえない。

 

話が終わり、少し疲れたので休憩室に向かった。すると、講演会中に興味深い質問をしていた女性が椅子に座っているのを見かけた。「話しかけてみようかな?」と立ち止まっていたら、お連れの女性が気づいてくれた。「なんでも聞きなよ」とのお言葉に甘えて質問していた女性の向かいに座った。

 

のちに声をかけてくれた女性も加わり、突発的なお茶会は3時間を越えた。

 

人との出会いは不思議なものだ。「今、悩んでいることを相談できる人がいればな」というタイミングで悩んでいる問題の専門家に出会うことがある。かと思えば、「えっ、あなたそうだったの」と後に自分と同じ経験をしている人に出会うこともある。どちらも、自分ではコントロールはできない。

 

今回は同類のパターンだった。話した二人の女声のうち、ひとりが私と同じ手をしていた。すべての指に刃物で切ったあとがある。つまり、リストカット経験者だ。彼女も私も何十年も経っているのに傷跡が消えていなかった。私はさびた小刀だった。血が数分は止まらないほど切っていた。彼女も同じだろう。深く切らなければ、傷跡が残るはずもない。

 

リストカット経験の人に出会ったことがあるが、手の指すべてに傷跡がある人に出会ったのは初めてだった。同類だと知った瞬間、彼女は笑顔で涙ぐんだ。私も似たような顔をしていたはずだ。

 

『自分だけじゃない』

ほんの少しだけ、孤独感が薄れた。

 

リストカットといえば、大抵の人のイメージは手首だ。手首をグッサリ切り多量に流血、救急車で運ばれる。そんなイメージだろう。実際のリストカットでも、そういう切り方をする人もいるが皆じゃない。

 

感情の行き場がない

 

簡単に言えば、アルコール依存や薬物依存と似たようなものだ。心の痛みを身体の痛みにすることで、心の苦しさを紛らわせる効果がある。切る場所は手首だけじゃない。目立つ場所を人は周りに助けを求めるタイプだ。「助けて」「私に気づいて」と叫ぶ代わりに血を流している。

 

だが、私や彼女のように指などの気づかれない場所を選ぶ人は違う。リストカットの行為を周りに知らせる気はまったくない。むしろ、知られることを恐れている。あくまで、自分が楽になるために切っているだけで助けなんて求めていない。いや、助けをあきらめている。死に至る確率が高いのはこちらの人だ。手遅れになるまで周りは気づかない。

 

私もバレたくなかった。指ならば、「料理中に手が滑った」でごまかせる。さびた小刀を選んだのは治りを遅くするためだ。痛みを感じている間は、息をするのが楽だった。

 

こんな経験をしている人は世の中の大多数ではない。それは、私もわかっている。心のどこかで「誰にも理解されない」と言う気持ちを抱えていた。だからこそ、同類にあえて嬉しかった。きっと、彼女の喜びも同じだろう。彼女に出会えただけでも、今日、外出してよかった。

 

出会いというのは様々だ。「今日の記憶は消去だ」と怒りにかられることもあれば、「今日は最高の日だった」とすべてに感謝したくなることもある。そのどちらも、長期的にみれば無駄にはならない。時間の無駄だと思った出会いが、かけがいのない出会いだったと後に気づくこともある。最後までいい思い出がなかったとしても、人生の教訓にはなる。

 

大事なのは出会いから逃げないことだ。対面がツライなら、インターネット上だっていい。どれほど特殊な経験をしていても、どこかに同類はいる。一人で心の傷が癒えるほど人間は強くはない。

 

人を癒やすのは、結局は人だ。

 

一流の人は小さな「ご縁」を大切にしている

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