歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】視野を広げる難しさ

視野を広げる難しさ

 

2019年9月22日 自宅

 

囲碁・将棋サークルの二次会に参加した。話す内容が深すぎて、聴くだけで精いっぱいだ。囲碁の知識も、教養も広く奥深い。「万葉集の好きな歌と現代語訳はどの作家の本が好きか?」で語り合っている。評価が高い本をこっそり暗記した。後日、図書館で探す予定だ。自分の足らなさの自覚と新たな書籍の情報を得た、いい時間だった。

 

人は自分基準で生きている。”常識””普通””当たり前”と思っていることは、本人にしか通用しない。同じような意見だと感じてもよくよく話を聞けば違う。他者と交流しないと視野が狭くなる、最大の理由がこれだ。自分とは違う経験をしている人の意見に触れないと、”思い込みの激しい人”の称号を得るハメになる。

 

「インターネットで積極的に情報を集めている」

「反対意見にも目を通している」

「視野が狭くて何が悪い」

 

この3つの意見をよく聞く。どれも私は肯定ができない。

 

インターネットは個人用にカスタマイズされている。インターネットの利用に検索機能は欠かせない。ここに罠がある。無料で使えるものは、たいてい広告収入で維持費をまかなっている。つまり、何度も利用してもらえる為に検索者が喜ぶ情報が上位に来るよう設定されている。

 

例えば、Googleにはシークレットモードがある。自身の閲覧記録の影響を取り除いた、ピュアな検索結果が表示される。通常の検索結果とシークレットモードの検索結果を見比べれば、自分の考え方のモノサシが浮かび上がる。インターネットに表示される情報は人それぞれ違う。

 

反対意見を探す。なんとなく検索するよりは効果的だ。だが、こちらも自分の思い込みは破れない。自分にとって心地よくない意見を見えなくする。そういう機能が脳にはある。

 

人間が接している情報のうち意識に上るのは10%以下だ。これは仕方がない。すべての情報を処理しようとしたら、電子レンジで温めた生卵のように脳が爆発してしまう。だから、無意識レベルで必要な情報と不必要な情報をふるい分けている。この、ふるい分けの基準のひとつが『自分の意見の強化』だ。自分の考えに疑いを持ってしまうような情報は、無意識レベルではじかれる。「いろいろな意見があって当たり前」と心から信じていない限り、どれだけ反対意見を読んでも記憶に残らない。

 

「視野を広げるのが難しい」

「なら、今のままでいいじゃないか」

「別に何も困らない」

 

残念ながら、人生トラブルで痛い目をみる。でっかいトラブルほど、それまでの常識は通用しない。ひたすら頭をひねり、他者の助けも借りなければ解決できない。この時、視野の広さがトラブルの悪影響と解決までの早さに影響する。自分の狭い視野で解決できるほど人生は甘くできていない。自分の殻に閉じこもる期間が長いほど、トラブルはより悪質に長期化する。視野を広げるのは大変だが命までは取られない。人生トラブルは一撃で生涯を破滅させる場合もある。

 

どれだけ視野を広げようとしても、自分自身では広げにくい。そこで、他者の助けを借りる。どれだけ似た経験をしていても、まったく同じ考えの人はこの世に存在しない。逆に言えば、他者と交流することは常にカルチャーショックの連続だ。意見の対立でイライラするときもある。人間関係に疲れ、引きこもりたくなる時もある。それでも、エネルギーを費やすだけの価値はある。自分の思い込みの壁は、自分では破れないのだから。

 

自分自身の目で

自らの背中を見ることはできない。

 

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