歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったり生きる』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】「気にくわない」は自由な証拠

「気にくわない」は自由な証拠

 

2019年10月3日 自宅

 

また友人と意見が合わなかった。「あんたは悪い方にとらえ過ぎだ」と言う。最悪のパターンを考えずに飛び込むなんて、私にはできない。いいじゃないか。ダメだと止めるのではない。考えつくしたうえで行動するのだから。だいたい、友人は批判が多い。過去のグチも多い。『私に言えるほど、前向きなの?』、よっぽど言おうかと思った。この分野の議論では勝てないので堪えた。私の得意分野になったら、この分のお返しはさせてもらう。オボエテイロ。

 

人と交流すると、ある感情が沸き上がることがある。

 

「気にくわない」

 

考えは人それぞれだと知っている。それでも、腹の底がモヤっとする。気分がいいもんじゃない。けれども、それは自分とは別の価値に触れた証だ。多くの価値が認められている。自由な場所だ。

 

反対意見がまったくない。そんな状況を私は想像できない。同じ意見だと感じても、細かいところは違う。人の数だけ意見がある。だから、多くの人と対面するほどイラつく場面は増える。

 

ネット上ですら、意見の違いは避けられない。むしろ対面よりも激しい。匿名だと勘違いしている人たちが本音をぶちまけている。たまに訴えられている人が出るが、それでも過激な意見は減らない。

 

「最近はモラルがない」

「変な人が増えた」

「こんな考えおかしいよ」

 

心無い言葉を嘆く声も多い。だが、私はこの状況を歓迎している。なぜならば、議論がない状況の方が危険だからだ。議論がないということは、発言が押さえつけられている。

 

自分の意見が称賛されて、反対意見がつぶされたとする。その瞬間は気持ちいいかもしれない。相手が無礼な人なら、スカッと爽快感を味わえる人もいるだろう。だが、この状況は健全なのだろうか?

 

『意見をつぶす』、これを認めたら恐ろしい世界が訪れる。

 

組織にはルールが存在する。組織にいる人は、ルールに従って生きている。これは国のような大きな組織や、家庭のような小さな組織でも変わらない。キッチリと文章化されているか、何もないかも関係ない。遊びだって、ルールは存在する。

 

このルールに『意見をつぶす』が採用されたら、どうなるだろうか?

 

とても息苦しい場所になるだろう。自分が意見をつぶされない側だとしても、1ミリも安心できない。なぜならば、いつ自分が押さえつけられる側に回るか。それを否定できない。『意見をつぶす』という行為自体が、もはや脅迫だ。

 

確かに、心無い発言で傷つく人はいるだろう。私は貧弱な体と複雑な家庭環境で育った。ひどい発言をされた体験は数える気が起きない。数が多すぎるからだ。無神経な人が放った一言に隠れて泣いた日だってある。アレルギー症状で荒れた皮膚を「バイキン」と言われ、病原菌扱いされた。そうして、クラス全員に無視された体験もある。今でも映画を観るかのように思い出せる。それでも、意見を縛りたいとは思わない。

 

「気にくわない」、これは自由がある証拠だ。そして、自由は守らなければ失われる。そういう貴重な存在だ。自由を失ってしまえば、取り戻すのに大きな犠牲が必要になる。それは、歴史が証明している。たとえ気にくわない発言で心が傷つくとしても、意見がつぶされるよりはいい。こちらが反論する権利も、同時に守られているのだから。

 

自由な意見を言える場所は

怒りも、悲しみも、渦巻く場所だ。

 

けれども、

意見が言えない場所で窒息するよりは

いくらかマシな場所ではある。

 

 

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