歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】この質の文章が毎日読みたい

この質の文章が毎日読みたい

 

2019年10月22日 喫茶店

 

今日は即位礼正殿の儀、今年だけの祝日だ。

今日の新聞はいつもとは違うはずだ。

ワクワクしながら喫茶店に向かう。

 

お店に入り、入り口そばの書籍置き場に向かう。この喫茶店は読売、朝日、産経、日経と4種類の新聞を置いている。パサリと新聞の厚さを確認する。どの新聞社もいつもよりページ数が多い。私は読売新聞から読み始めた。1紙だけなら日経新聞、それ以外は4紙とも目を通すと決めている。理由はお察しだ。

 

予想通り、内容に気合いが入っている。数日どころじゃなく前々から取材をしていたのが伝わってくる。しかも論調が辛口だ。普段は指摘しないきわどい話題もチラホラ見受けられる。それぞれの新聞の特色を超えてはいないが、読みごたえがある。いつもは4紙を1時間ほどで読むが2時間半をかけた。この文章の質が毎日なら新聞をとろうと思うのに。

 

個人的に、ジャーナリズムの本質は批判だと感じている。専門家や長く調査した人にしか見えない視点で、世の中の問題点をわかりやすく伝える。これは知識の足りない人や短い時間しか調査しない人にはできない。情報を扱う専門家であるジャーナリストだからこそ、できる仕事だと感じている。

 

それぞれの分野に専門家はいる。けれども、一般人に分かるように説明できる人は少ない。その業界にしか通用しない専門用語や科学用語を並べた文章を渡されても、素人には理解できない。そして、深く勉強する時間もお金もない。

 

「専門分野は詳しい人に任せておけばいい」

 

正論だろう、人間が間違いを犯さない生き物ならば。だが、人間は完璧じゃない。欲に溺れて犯罪を犯す人もいれば、問題点に気づかず大事故に発展することもある。だからこそ、第三者の視点が必要だ。社会の監視機能を担うマスコミが第四の権力と言われるのも不思議じゃない。けれども、マスコミには致命的な弱点がある。

 

スポンサー

 

取材費に製作費を出してくれる存在には逆らえない。まったく有権者の票がない政治家がただの人になるように、お金がなければマスコミは動けない。スポンサーに逆らうことは自殺行為に等しい。

 

アノニマスなど、大企業の傘下にない組織や個人の発表は自由だという人がいる。残念だが、彼らにもスポンサーがいる。むしろ、国のような大きな組織に抵抗するのだ。とてつもないお金や人脈がなければ、あれだけの情報を手に入れることはできない。そして、大きなお金は理想よりも欲で動くことが多い。

 

力のない一般人がふれる事実は、身の回りに起きたことぐらいだ。直接味わった出来事以外は、誰かの思惑が含まれている。そのまま信じることなんてできない。新聞を含め、情報は”事実ではない”と疑ってかかるものだ。

 

そして、悲しい現実がある。どうしようもなく残念な話だが、最近の新聞は中身が薄い。10年以上前からすると、ページ数が減ってイラストやグラフが増えた。広告のスペースも増えた。つまり、文字数が減っている。これで質が変わっていないと言われても無理がある。過去の段階でも、英字新聞よりも情報量が少なかったのに。これでは情報を分析しようにも、材料が少なすぎる。結果、私は新聞を購入しなくなった。たまに喫茶店で読むぐらいだ。

 

私は文章が好きだ。熱愛していると言ってもいい。だからこそ、新聞の質の低下がとてつもなく悲しい。グラフで印象のごまかしがあると、がっかり感に崩れ落ちそうになる。わかりやすいと薄っぺらいは違う。「ここは見逃していた」と感謝したくなるような記事が毎日読みたい。心から、熱望している。

 

文章の量と質が比例するとは限らない。

だが、量が無ければ判断の対象にすらならない。

 

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