法律は情に流されない
2019年10月27日 レストラン
今日は月1回の昼食会だ。この昼食会で毎回、法律の話を聞いている。司法書士の方が主催とあって中身は濃い。なかなか法律の詳しい話を聞く機会はない。だから、この会には体力の許す限り参加している。
今回のテーマは親権だ。子供を産むどころか、結婚していない私には遠い世界の話だ。だが、知識はいつ役に立つか分からない。ときおり質問をしながら、頭に叩き込んでいく。ハンバーグを食べながら。玉ねぎが滑らかに肉と混ぜられていて、舌触りがとてもいい。
えぐい。
法律はやっぱり知っている者の味方だ。ごく一般の考えでは思いつかない対抗策がある。まさか子供の親権をそんな方法で確保できるとは。合法だが、他で話す気にはなれない。改めて、心に誓った。法律でトラブルを抱える気配がしたら、即、知人の法律家に相談しよう。とても素人では太刀打ちできない。
法律のプロの凄みを堪能したひと時だった。
美味しい食事のおかげで心理負担は軽く済んだ。
それが、せめてもの救いだった。
『法律は知っている者の味方』だ。これはゆるぎない。知らなければ、損をする。だが、素人に六法全書を知り尽くすことはできない。弁護士や司法書士、行政書士だって自分の得意分野以外を深くは知らない。それなのに、素人がすべてカバーできるはずもない。
法律に情は関係ない。「これは、あまりにおかしい」という内容でも、法律に沿っていれば正しいと判断される。古代に『悪法も法なり』と理不尽な判決を受け入れ、逃亡のチャンスも拒み、毒杯をあおって亡くなった哲学者がいる。この原則は現代でも変わっていない。素人の知識と感覚では、とても法律上どちらが正しいかなんて判断できない。判断できないからこそ、法律のプロという職業が存在する。
けれども、法律を何もわからないのも問題だ。法律の専門家全員が誠実なはずもない。また、法律はコロコロ変わる。だからこそ、継続した勉強が必要だが、全員が難関試験を合格後も学び続けているとは限らない。専門家に対する侮辱? ならば、なぜ職業倫理を外れた専門家に対する罰則の決まりがあるのか? もし、全員が誠実ならばそんな決まりは必要ない。
「この人の言っていることはおかしい」
法律の専門家の説明を受けた時、言っていることが『正しいか?』『正しくないか?』がわかる。または、家に帰ってインターネットや書籍を調べて成否を確かめる。相手が最新の法律の情報収集をしており、依頼人に誠実な対応をとってくれるか。それを判断できるだけの知識は必要だ。
私がよく話を振るのが、来年の法改正の実施だ。新しい法律が決まっても、実施されるまでたいてい1年はかかる。腕のいい法律の専門家なら、議会で採決前に情報取集を終えている。それなのに、実施が決まっている法律すら知らないのは問題だ。自分の専門分野なら論外だ。ちょいとニュースをチェックしているだけで実行できる、お手軽なやり方だ。
私は知っている。
立場が弱い人の多くは騙されている。
法律を知らないという弱点のせいで苦しんでいる。
例えば就職氷河期のように、選べる選択肢が少ないこともあるだろう。相手が労働基準法を守っていなくても、耐えるしかないときもあるだろう。だが、永遠に耐え続ける必要はない。証拠を淡々と集めておき、次の就職が決まった段階で法テラスに駆け込むなど手はいくらでもある。ただし、残業代未払いの請求などの権利には時効があるので注意したい。なお、威力が強いのは国の機関、弁護士、司法書士、行政書士の順だ。
法律はただの知識じゃない。身を守るための武器だ。しっかり装備して、日々の暮らしを守っていきたいものだ。
武術はある目的のために生まれた。
力の弱い人が、
力の強い人に勝つために。
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