ピンと来ないならサヨナラ
2019年11月3日 自宅
「こういう集まりがあるのですが、よければ」
見た目の威圧感がマイナスに振りきれているせいか、よく誘われる。お気持ちは大変ありがたいのだが、9割はお断りする。断る理由は体力のなさだ。これは本音が半分、建前が半分の構成になっている。もし『刀剣乱舞』のへし切長谷部のイベントがあるというのならば、点滴をうってでも行く。後日、倒れることなど知ったことではない。
断るかどうかの基準はただひとつ、勘だ。ピンとくる時しか頷かない。不思議なもので、ピンと来ないときは了解を返しても参加できる場合が少ない。高熱を出したり、ぜんそくの発作が起きたり、トラブルが出没する。直前で断る方が申し訳ないので、ピンと来ないときは断ることにしている。
ピンとくる条件は私にもわからない。明らかに毎日TVに出る人が来るような会に反応しないのに、4人ほどのこじんまりとした集まりにビビッと背中に電流が走る。同じ時間を使うなら、常識的に考えて知名度が高そうな人の集まる場に行くべきだろう。だが、私は自分の勘を信じている。というよりも、どうせ行けなくなるので最初から選択の余地がない。
なお、勘が私を裏切ったことはない。良さそうに思えた会の主催者がスキャンダルまみれになったりとか、交流したかった人にちっさな会場で会えたりする。話題映画の原作者がいたときは飲み物を吹き出しそうになった。『なんで、おるねん』との言葉が出る3秒前だった。休憩時間に1分ほど立ち話をしたが、あんな過激な脚本を書くとは想像できないほど物静かな方だった。人は見かけによらない。
勘で選ぶと、短期間でみれば間違った選択に思えたときでも、後に良い選択だったと思える縁につながる。計算で選んだときは、8割失敗している。おそらく計算は、欲望なのだろう。欲まみれで選んだ選択は良い結果を生まないのかもしれない。ただ単に、私の計算がおろそかすぎる可能性も高いが。
科学が進んだと言っても、人間が知っているのは極わずかだ。知らないことの方がはるかに多い。理性だけで選ぼうとすると、とんでもない落とし穴にはまり抜け出せなくなる。なんでも考えなしは問題だが、たまには思考を放り出して選ぶのもいい。選択を勘に丸投げしている私が言っても説得力は欠片もないと自覚している。困っていないので、直す気はちっともない。選んだあとは思考がフル回転しているので、バランスはとれているはずだ。
人は1m先ですら見えていない。
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