歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】AIに教わる時代

AIに教わる時代

 

2019年11月11日 自宅

 

AIに教えてもらう時代、私は何も違和感を覚えない。

すでに、体験済みだからだ。

 

昨日、囲碁・将棋サークルに参加した。その後、飲み会に誘われた。珍しく体力が残っていたので、参加することにした。幸いなことに、高齢の方や家族が待っている方が多いので長くて2時間ぐらいだ。「いっきー、いっきー」とアルコール中毒へ誘う声をかける人もいない。

 

前回は短歌や俳句の話が多かったが、今回はAIの話だった。もはや囲碁の世界では、対戦をAIで分析するのが当たり前だ。AI同士の対戦の話も出た。囲碁では、人間はAIに勝てない。むしろAIが先陣を切り、人が教わる側だ。

 

この、人がAIに教わる分野が年々広がっている。人がAIに抜かれたことを恐れたり、嘆いたりする方がいる。個人的にはAI先生を歓迎している。私にとっては2度目だから、拒否感はまるでない。

 

はじめてのAI先生の授業は将棋だった。高校時代に全国大会で勝てたのは、AI先生のおかげだ。とは言っても20年以上前の話で、機械もパソコンではなくスーパーファミコンのゲームだった。間違いだらけで、人間よりも圧倒的に弱かった。だが、私にとってはありがたい先生だった。

 

当時、私は鳥取県にいた。学校に将棋部はなくて、個人参加だった。活動費なんて、1円もない。全国大会の時だけは学校と県が遠征費を出してくれたが、他はすべて自腹だ。年に1、2回ほど将棋連盟主催の研修会があったぐらいだ。

 

今でもそうだが、将棋の集まりは年配の男性がほとんどだ。将棋連盟に加盟していない場所では、お金をかけた勝負がこっそり行われていたりする。とても女子高校生が気軽に参加できる場所ではない。

 

私に将棋を教えてくれた父は、どちらかといえば囲碁の方が好きだ。そして、好きな囲碁ですら段持ちの腕はない。学校に将棋好きの先生が一人いたが、この先生も強くなかった。同じ県に将棋部がある高校はあったが、電車で3時間近くもかかる距離だった。

 

将棋の腕は対戦回数に比例する。それなのに、対戦相手が実質0だった。将棋の本だけで追いつけるような差ではない。

 

これを救ってくれたのが、将棋ゲームだった。AIレベルは貧弱で、実際の対戦とはほど遠い戦法もよくあった。思考の速度も遅くて、イライラしながら待っていた記憶がある。それでも、対戦しないと学べない経験をたくさん積ませてもらった。

 

もし、将棋ゲームが無かったら高校1年生の時しか勝てなかっただろう。3年連続、新人戦も含めて全国大会出場を続けられたのは、つたない思考しかできなかったAIのおかげである。

 

最近、将棋でも囲碁でも若い選手の勢いがすごい。どう考えても、AIの影響としか思えない。AIが本格的に普及するまでは、地方選手はとても不利だった。強い人はどうしても都会に集まる。対戦経験の少なさが結果に反映されていた。インターネットの登場で差が縮まったが、完全には埋まらなかった。そんな状況をAIがひっくり返した。

 

『都市に住むのが有利』

『資金力がある方が勝つ』

『生まれで学ぶ機会が違う』

 

そんな様々な格差を変える可能性をAIは秘めている。格差がゼロにはならないとしても、チャンスは与えられる。そういう世の中になることを、心から願っている。

 

自分が恵まれた立場にいる。

失う前に気づける人は、ほとんどいない。

 

 

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