精神科医も驚く演技力は幸せをよばない
2019年11月19日 自宅
「気づきませんでしたよ」
自分の演技力の高さを喜べばいいのか。
無駄に我慢したことを嘆けばいいのか。
複雑な気持ちだ。
最近、身体を動かすのが楽だ。これは、朝一の痛くないストレッチを教えてくれた主治医のおかげだ。
腰に沿うように、ろっ骨に両方の手を当てる。足の位置はそのままで、身体を左右に振る。左右に振るとき、ろっ骨を持ち上げるように、手に力を入れる。正面に戻すときは手の力を抜く。これを、ゆっくりと数分繰り返すだけだ。ラジオ体操の簡単版のような動きだ。こんなお手軽な運動で、痛みが軽くなる。
「精神科でストレッチ?」と教わった時はびっくりした。だが、私は誰に聞いたかではなく、効果こそ注目する。よく考えたら、体をむしばみ続ける痛みを軽くすればストレスが減る。立派な心の治療行為だ。
痛みが軽くなった。
この喜びと同時に、深く反省した。
「もっと早く、弱音を吐けばよかった」
私の体の痛みの強さに、精神科の主治医が気づいたのは時間がかかった。たまたま、痛そうに椅子から立ち上がったのを見て、主治医が気がついてくれた。それまでは、私が常に笑顔でサクサク動くので、常に痛みに襲われているなんて気づかれなかった。
「これは、相当痛いでしょう」
ストレッチを指導してくれた時に、主治医が発した言葉だ。我ながら、精神科の医師すらごまかす演技力に鼻が高くなった。すべてを、自分自身すらだました、物心つく前からの演技力は伊達ではない。血と汗と涙の結晶である。これは、例えではない。
しかし、この演技力は幸せをよばなかった。
もっと演技力がなかったら、心が壊れるほどのトラウマや、動くたびに痛みが走る体を抱えることはなかっただろう。少なくとも、精神科の初診日にストレッチを教えてもらえていた。
「おまえは我慢強すぎる」
家族や友人に何度も言われたセリフを、本当の意味で理解できた。
弱音を吐くのは難しい。すぐに「できない」というのも問題だらけだが、弱音を吐けない人は心身を壊していく。自殺をする人の多くは、心が強い。だから、限界以上に我慢を続けてしまい、ガラスのように砕け散る。
どれほど付き合いが長く、本音を語り合った仲でも『言われなければ、わからない』ことはある。人の心を見抜く専門家ですら、すべてがわかるわけじゃない。早めの相談をしよう。もう少し、弱音を吐こう。心から思った。
チョコレートボンボンで酔っぱらう人が
アルコール依存症になるだろうか。
おそらく、ならないだろう。
お酒を飲めないのだから。
自己紹介でもある記事
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