書くことで受け入れる
2019年11月20日 自宅
「落ちこむことはないの?」
私も人間だ。
もちろん、落ちこむ。
文章は筆者の分身そのものだ。どれほど隠そうとしても、本質がにじみ出る。荒い言葉を使っても、春の泉のようにゆるやかな人の言葉は心がポカポカする。どれほど丁寧な言葉でも、嵐吹き荒れる海のように乱れた人の言葉は、心が警戒を解かない。不思議なのは、本心を込めた文章は、どちらの場合でも面白い。
荒れた心の人の世界へは真剣勝負の心得で、
穏やかな心の人の世界へはうたた寝気分で、
それぞれ楽しめる。
そこで、私の文章である。
恥ずかしながら、考えて書いていない。
雨のように降り注ぐ言葉を、
雷のようにビリッときた言葉を、
星の瞬きのようにキラめいた言葉を、
ただ、書きとめている。
自分が書いている実感がない。
そんな感覚だ。
「なぜ書けるのですか?」
この問いには、 『なんとなく』としか答えようがない。文章を読むのも好奇心の赴くままに突き進んでいるだけだ。仕入れの気持ちはまったくない。好きだから、朝起きてから、寝るまで読み続けられる。サンドイッチやおにぎりが好み、この理由のひとつが本を読みながら食べられるからだ。行儀が悪いのは、自覚している。
ただ、気づいたことがある。
書くことは、自分を見つめ直すことだ、と。
言葉にすることで、『自分はこんな風に考えていたのか』と、はじめて自覚することも多い。不安を紙に書く。そんな心理療法もある。不安は原因が取り除かれるまで消えない。だが、自分の不安を自覚することで軽くはできる。『心配することじゃなかった』と不安が消えることもある。
不安は受け入れるものだ。
”不安解消”なんて言葉がある。”消える”という字が入っているので手品のようにパッと無くなりそうだが、実際のイメージとは違う。どちらかというと、霧が薄れるように差し込んだ光の中に消えていく。自覚という光で不安の霧を照らし、心に受け入れていく。
この不安を自覚するスピードを、書くことが早めてくれる。そして、紙を破いたり、水に流すことで、不安が消えるイメージを頭に想像させる。私は水に溶ける紙を使う。なんとなく、水にゆるりと溶けていく紙の姿が好きだからだ。つまり、個人的な好みだ。
それでいい、と思っている。
不安は、とても個人的なものだから。
不安は逃げれば、
逃げるほど、
大きくなる。
そして、
いつまでも追ってくる。
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