歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画『アナと雪の女王2』に許しの難しさを学ぶ

映画『アナと雪の女王2』に許しの難しさを学ぶ

 

2019年11月23日 映画館

 

「ほら、行くぞ」

 

私より軽い足取りで、前を歩く。映画『アナと雪の女王2』の上映開始を楽しみにしていた、友人のテンションが高い。確実に声が半オクターブは高い。いつもはもっとダラダラ歩くのに。正直な友人だ。なお、へそを曲げると面倒になる。ガキ大将をイメージしてもらえれば、しっくりくるキャラだ。

 

私も楽しみにしていた。実は一番最初の映画『アナと雪の女王』は映画館で観ていない。その当時は体調が悪すぎたのだ。しっかり、円盤で観てきたので予習は完璧である。いきなり三作目から観る、なんてマネをよくするので説得力はないが。最近の映画は、どこから観客をを置いてけぼりにしない、親切な作品が多い。時代に適応するたくましさを感じる。

 

いつものたくましさが欠片もない、

浮足立った友人の後を追いながら映画館に向かった。

 

重い

 

ディズニー映画をなめていた。ストーリーが重い。しかも、とても繊細な話題を容赦なく取り扱っている。映画『グリーンブック』より表現は優しい。だが、描かれている問題点はより複雑だ。なぜ、この題材で作品を作ったのか。アメリカの現状を知れば、調べるまでもない。

 

この作品のテーマは、おそらく”許し”だろう。

 

過去の事実をどこまで許せるか?

その為に何ができるか?

 

そんな重いテーマを、真正面に受け止めている。

 

許し、というのは強制できない。周りのすべての人間が許しを求めたとしても、当事者が許せないかぎり、すべては終わらない。たとえ許したとしても、感情のしこりは残る。個人レベルですら、100年単位の時間がかかることもある。許せない、この感情は世代を超えて受け継がれてしまう。当事者だけで収まるならば、これほど簡単な話はない。だが、そんな夢物語はない。

 

映画狂の友人は、こちらの予定も聞かずに、映画を観る当日に誘う。これを恨めしく思っている。映画が楽しいのとは別問題だ。喜ばしい感情と恨めしい感情が両立している。だから、時々チクッとやり返す。

 

こんな小さなレベルでも、人は恨みは忘れられない。私が執念深いのもあるが、それだけじゃないと否定したい。世の中の別れの原因を調べてみればいい。そのほとんどが、きっかけは小さなことだ。小さな恨みが積み重なって、ある日、大爆発を起こす。

 

個人的に”許し”は自分の為にする。そう、理解している。誰かを憎んでいたときは、しんどかった。毎日が面白くなかった。しかも、一日中、恨んでいる相手の顔が浮かぶ。この生活が楽しいはずもない。

 

けれども、憎んじゃいけない。そんな風には、言えない。他人に言われた程度で許せるならば、誰も苦しんだりはしない。許そうとしても、許せないから苦しむのだ。

 

ディズニー映画なので、言うまでもなく結末はハッピーエンドだ。これは、これで素晴らしい。私はハッピーエンドが大好きだ。だが、ハッピーエンドが好きなのは感情の部分だ。現実はこんなに甘くないよ。理性の私がつぶやいている。

 

映画『アナと雪の女王2』ほどのハッピーエンドは無理でも、少しでもいい形の結末に現実を持っていけたら。この思考が、しばらくは頭の片隅を占領するだろう。「最近の作品は男が軟弱すぎる」とわめく友人がうらやましい。昭和と令和では時代にあった生き方が違うのだよ、ワトソン君。今日は恨みポイントのたまりが少ないので、口に出すのは堪えた。

 

許されたとしても、

事実はひとつも変わらない。

 

たとえ、

当事者すべてが忘れ去ったとしても。

 

 

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