歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】歴史はビッグデータ

歴史はビッグデータ

 

2019年12月6日 自宅

 

 めまいがひどい。ここ1ヶ月ほど、起き上がる度に目の前が揺らぐ。家族にはバレていたらしい。だから、いつもの3倍ほど説教が多かったのか。口うるさい、とか思って申し訳ない。なぜばれたか?

 

「あんたが、正直に言わないのはわかっている」

 

付き合いが10年を超えると、ごまかすのもなかなか難しい。

もっと、演技力を磨かねば。

 

頭をこつんとされた。

なぜ、私の心がわかった。

この超能力者め。

 

付き合いが長くなると、言わなくてもわかることが増える。これは、頭の中に相手の行動パターンの記憶が積みあがっているからだ。年を重ねるほど、細かく数多くなる。これは、組織や国でも変わらない。

 

歴史

 

歴史は人類の行動データの集まりだ。確かに、多くの事情があり完璧に記録されてはいない。まったく逆のデータが存在することもある。けれども、長い年月をかけて集められた情報である。これを否定できる人はいないだろう。

 

歴史に学ぶ、この重要さを知らない人は多い。最近はビッグデータが流行しており、古臭いデータの集まりである歴史なんて必要ない。そんなことを言う人もいる。甘い、としか言いようがない。

 

インターネットが集めたデータは、長く見積もっても60年分でしかない。日本では、40年にも届かない。しかもビックデータと言われだしたのは、スマートフォンが普及したからだ。おまけに、スマートフォンが普及していない地域は世界中にいくらでもある。歴史は千年どころではなく、あらゆる場所のデータの積み重ねがである。

 

「現代は、古代とは大きく違う」

 

科学が万能なんて、一流の科学者は言わない。物事を深く知っておられる彼らは、人がまだ自然の1%も理解できていないことを知っている。古代と同じように、現代でもわかっていない法則はいくらでもある。

 

その、わからないことを補ってくれるのが積み重なったデータだ。過去に繰り返し起こったことを分析すれば、これから先に起こるかが予測できる。もちろん、最近の天気予報のように正確にはわからない。それでも、どのような結末がありうるか、どれぐらいで災害が収まるかの予測はできる。

 

だいたい、データというのは扱う人間で結論が変わる。まったく同じデータを渡されても、どこに注目するか、どう分析するかで違った答えが出る。もし、同じデータから同じ結論しか出ないなら、世の中に論文が数多くあるのはおかしい。結論がいつも一致するなら、議論だって起こらない。同じ結論にならないから、意見の違いが生まれる。

 

データは人が思っているよりも、不安定であいまいなものだ。扱う人が変わるだけでも、まったく逆の結論がでることもある。調理前の野菜のような存在だ。データは根拠としては重要だが、妄信していいモノじゃない。それなのに、時代の行く末を100年足らずのデータで推測するのは無謀すぎる。

 

偉人と語られる人の多くは、古典や歴史に学んだ人が多い。それが、時代の流れをよむうえで最も手っ取り早いからだ。この原則は、現代でも何ひとつ変わっていない。歴史に学ぶメリットは大きい。天才のように、答えに最短距離でたどり着けるなら別だが。

 

歴史に学ばない人は

同じ過ちを繰り返す。

 

これも、歴史が証明している。

 

  

 

 自己紹介でもある記事

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