人間に流れは変えられるか?
2019年12月17日 自宅
ある新刊が目に入った。将棋のプロである羽生善治さんが取材した内容をまとめた書籍『人工知能の核心』、その続編だ。その本は面白かった。続編も買う以外の選択肢が、私には見当たらない。
続編のタイトルは『人工知能の「最適解」と人間の選択』だ。なんとも、刺激的な題名だ。明らかに、人工知能と人間の答えは一致しないとアピールしている。まぁ、言われるまでもない答えだ。
論理で作り上げられた人工知能
結局は感情で動く人間
この2つが同じ道を行くはずもない。
人間の親子の意見が一致しないように、生みの親が人間でも人工知能が人が望む答えを返すとは限らない。最も初期の人工知能は、人間が細かく動きを指示していた。学ぶデータも人間が用意していた。
だが、今は違う。
もはや、人間が細かく指示しなくてもいい。
学ぶ対象も自ら探してくる。
それが、現在の人工知能だ。
その情報を裏付けるかのような例が、書籍『人工知能の「最適解」と人間の選択』には数多く書かれていた。最初の本、書籍『人工知能の核心』と比べると格段に進歩している。囲碁や将棋のような世界だと、もはや人は土俵にも上がれない。人工知能と人工知能の競い合いを眺めて研究するレベルだ。
「人を完全に超えている?」
「なんて、恐ろしい」
「人工知能なんて壊してしまえ!」
そんな意見があるとは知っている。だが、それは無理だろう。もはや人工知能が活躍するのは時代の流れだ。時代の流れというのは、海の波のようなものだ。一部の波の流れを変えることはできても、世界中の波の流れを変えることは人間には不可能だ。時代の流れも、どれだけの人間が抵抗しようと変えられないものだ。
産業革命がイギリスで起こった時、血みどろの争いがあった。稼げるからと多くの人が都市に集まった結果、感染症が広まった。それでも、蒸気機関が世界中に広まる流れを止めることはできなかった。
時代の流れは変えられない。
人にできることは、波に飲み込まれないことだ。
人工知能に勝つ必要はない。
というよりも、
人工知能に対抗心を燃やす理由が、私にはわからない。
人工知能に休みは必要ない。
同じ作業を飽きたりもしない。
1万回の練習で得られるスキルを人が1年かかるなら、人工知能は1日で習得する。人工知能の得意分野で生き残ろうとするのは、あまりに無謀だ。生き残るコツは、自分の得意分野で勝負することだ。
人工知能にだって弱点はある。人工知能はデータがなければ判断できない。プログラミングの枠を超えて、自由に動くことも現状できない。この弱点が直撃したのが、リーマンショックだ。
株価が暴落したとき、金融大手の人工知能は損を最小限にするため、持ち株をガンガン売った。その結果、金融危機の傷を深くした。人間だったら、安定している会社の株を安くは売らない。戻る可能性が高いのだから、売らずに持っている。資産に余裕があるなら、お買い得だと株を買う。その行動が金融危機の傷を浅くしただろう。
トラブルが襲ってきたとき、人間は日常とは行動を変える。だが、人工知能はプログラミングされていない場合、トラブルが間近に来てもいつも通りの行動を繰り返す。平常時は問題はない。だが、前例のないトラブルが起こった時、取り返しの使いほど悲惨な出来事が起こる。
人間の強みは、情報が無くても動けることだ。また、これまでの情報を組み合わせて、新しいトラブルへの対応策を考えることもできる。テーブルの上のような狭い範囲だと、人間は人工知能には勝てない。けれども、テーブルを超え、過去現在未来のフィールドになれば、適応力のある人間が有利だ。人間が環境に適応する能力が高いのは、歴史が証明している。人間ならば、人工知能が活躍する時代にも適応できると信じている。
産業革命の時、
布をたくさん織れるだけの人は失業した。
生き残ったのは、
機械では作れない繊細な布を織れる人だった。
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自己紹介でもある記事
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