どちらにしても「ありがとう」
2019年12月19日 病院
「できるだけ、早く行ってください」
そんなに、悪いのか。
勘づいていたのに、ショックだった。
今日は産婦人科に通う日だ。今回はパートナーを置き去りにした、二回目だから大丈夫と言って。ブチブチ文句は言われたが、納得してくれた。うまく騙されてくれて、ホッとした。シテヤッタリ。
本当の理由は違う。
嫌な予感がしたからだ。
どうにも、お腹がズクズク痛む。
前回の医師のセリフから察するに、いい状況とは思えない。強面で頼りになるが、私の100倍は繊細なパートナーを連れて行くわけにはいかぬ。 せめて、ワンクッションは置きたい。心臓病持ちに強すぎるショックは毒である。私は身体は貧弱だが、心臓はきれいと褒められるレベルだ。心の強さはパートナーにガンダリウム合金と言われた。どういう意味だと問い詰めたが、笑って逃げられた。そんな私だからこそ、ひとりで向かうのがふさわしい。
笑顔でいってきますと告げ、病院に向かった。
予感、的中である。
妊娠6週目なのに、胎児の姿が欠片も見えない。
素人が見ても、異常である。
すぐに大病院に行くようにと、医師に指示をされた。なら年明けにと伝えたら、それでは遅すぎると強めに説得された。あと2週間ほどで年末年始の休みに入る。かかりつけの大病院が無ければ、救急車を呼んだときに遠方の病院に搬送される恐れがある。いつ、大量出血するかわからない。紹介状を書いて、今から予約も入れるから、来週の予定を教えてくれ、と。
そうか。
いつ、救急車で運ばれるか?
わからないほど悪いのか。
来週の月曜日の午前中になった。予約がいっぱいで、本来なら断られるが割り込んでくれた。受付で事情を口頭で説明するように、とアドバイスを頂いた。母子ともに状態が相当悪いと察した。よっぽど悪くないと、予約に割り込みなんてできるはずもないからだ。
笑顔で感謝を伝えながら、診察室を出た。壁の側にある椅子に座った瞬間、目の前がかすんだ。涙が瞳からこぼれそうになっている。それなのに、受付の人に名前を呼ばれたら、視界がクリアになった。口角も上がり、目じりも元通りだ。そんな自分を笑いたくなった。人前で泣けない癖は治っていないんだ、と。
さて、どうするか。
この荒れた精神状態で、パートナーの前に顔は出せない。
けれども、あまり遅いと心配をかけるので喫茶店には寄れない。
ゆっくりと歩きながら、状況を整理することにした。
お腹の中の胎児が育っておらず、私の体調も良くない。医師は直接言わなかったが、流産の可能性が限りなく高い。ただの流産じゃない、救急車で運ばれるレベルだ。しかも、明日にも大量出血しても不思議じゃない。状況があまりにひどすぎて笑えてきた、頬っぺたは冷たいが。
立ち止まって、考えた。
こんなに悲しいなら、妊娠しなければよかったのか?
ノーだ、全力でノーだ。
たとえ流産して、私の体が妊娠前より悪くなったとしてもノーと言い切れる。妊娠していると知った日の喜びと今も生きているお腹の中の子どもを大切に思う。その気持ちを手放すつもりはない。どんな結末を迎えようと、私のところに来てくれて「ありがとう」、だ。
いつまで、いっしょにいられるか?
それはわからない。
だからこそ、毎日を味わって過ごそう。
私にできるのは、それだけだ。
よし、どんな未来も受け入れる覚悟は決まった。残るは、この状況をパートナーにどう伝えるかだ。しょんぼりと落ち込むのが、まぶたにはっきりと浮かぶ。何か好物でも買って、慰めるアイテムにするか。
まっすぐ家に向かう道のりを、食品街行きに変更した。地面を歩いている感覚が、しっかりと伝わってきた。もう、私は大丈夫だ。
望まぬ現実を受け入れない限り、
状況は悪化する。
覚悟とは、
現実を受け入れることでもある。
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