縁があればつながる
2019年12月21日 自宅
今日は、本来なら外出の日だった。
だが、中止した。
いつ、救急車のお世話になるか?
わからない状況で出歩けるはずもない。いきなり大量出血なんてインパクトがありすぎる、初対面の人もいるのに。流血した人、そんな覚えられ方は嫌である。
だいたい、パートナーの落ちこみ具合がひどい。寝たきり時代に戻ったかのような心配ぶりだ。来週に予定している、大病院の診察にもついてきてくれるらしい。ありがたいが、体調は大丈夫のだろうか。尋ねてみたら、人のことを心配している場合かと怒られた。ごめんと謝ったが、納得はしていない。心臓病で手術が必要だった人間に言われても、説得力が皆無である。
パートナーに心の負担をこれ以上与えるのも申し訳ない。とりあえず、今日はベッドで寝て過ごすことにした。まぁ、ブログ記事はいつものように書く予定だが。ここで連続更新が止まったら、お腹の子のせいみたいじゃないか。そんな展開はお断りだ。
横になって、本来の予定に思いをはせる。今回、久しぶりに会う人もいた。初めて会う人もいた。欠席することで、ご縁が薄れてしまった。けれども、欠片も気にならない。私には、ある確信があるからだ。
ご縁がある人には、必ず出会うようにできている。
いい例が高校時代からの親友だ。私はしんどい状況を伝えるのが好きじゃない。だから、体調を崩していた10年間はまったく連絡をとらなかった。それなのに、寝たきりから回復して出歩けるようになった月に、町でバッタリと出会った。
親友は目が転げ落ちそうなほど、びっくりしていた。
無理もない。貧弱体質なのは知っていても、杖をついている姿は初見だ。10年ぶりなのに、いきなり心配をかけてすまなかった。 今でも、何か月かに一度は出会う。なお、ここ10年は待ち合わせをしたことは一度もない。出会う場所も、毎回バラバラである。
会いたいと奮闘しても、ことごとくすれ違う。
何も考えていなったのに、なぜか出会える。
まるで導かれるかのようだ。
ご縁とは不思議なものである。だから、私は流れのままに任せている。会えない時は、会うタイミングじゃないときだ。絶妙のタイミングが来るまで、のんびりと構えている。
ちなみに、パートナーとの出会いは引っ越しの挨拶である。お隣さんだったので、よろしくお願いしますと声をかけた。なぜか、置き時計をくれたのでミカンをおすそ分けした。それが、はじまりである。その付き合いが干支を1周して12年を過ぎ、まだまだ継続中である。人と人とのご縁はわからないものだ。
世の中は、
偶然という名の必然で出来ている。
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