悪夢でわかる本音
2019年12月30日~2020年1月4日 自宅のはず
年末年始だというのに。
ここ一週間の記憶がぼんやりしている。
一週間だとわかるのは、毎日ブログを更新しているおかげである。17時にパソコン前に座り、18時までに何とか書き上げる。この時間のおかげで、何とか日時の経過がわかる。寝こむのはいつものことだが、今回は少し様子が違う。精神へのダメージがきつい。ハッキリとは覚えていないが、夢見が悪いようだ。
その理由、わかっているよ。
お腹の中の子を、失うのが怖いんだ。
どれほど強がっても、自分とは正直なものだ。ごまかしたものが、夢ではっきり現れてくる。こんな気持ちになったのは、母を亡くしたとき以来だ。あの時は戻らない幸せな過去の夢で、泣きながら目を覚ましていた。今度は悪夢で冷や汗をかいて目覚める。どちらも、しょっぱいものだ。
だんだんと児の命が弱まっている。
死に、近づいている。
わかるものなんだな。
これまでの人生では、突然の死ばかりだった。
母も、祖父も、叔父も。
知った時には亡くなっていた。
ことばを遺されたことなんて、一度もない。
失った実感がわかなくて、自分を納得させるのに随分と苦悩した。電話で会話中に意識を失った母が亡くなった事実は、死に顔を眺めても受け入れるのに時間がかかった。
心の準備がなく、亡くすのはツラいと知っていた。
同じくらい、
大切な存在が死に向かうのを見守るのもツラいな。
命が宿ったことを後悔する気持ちは、今もまったくない。満足に育ててあげられない、自分の身体の弱さを責める気持ちはあるが。
どうにもならないことを、
どうにもならないとわかっていながら、
どうしても悩んでしまう。
私は、どうしようもないほど愚かだ。
理性が認めようとしても、感情は受け入れていない。そんな自分をだますことを、夢は許してくれない。自分の心と向き合えと、現実を突きつけてくる。どれほど心が荒れ狂っても、冷静に分析できてしまう。自分の性質を恨みたくなる。
心が壊れて、幻想の世界に生きること
苦しみながら、現実を見つめ続けること
どちらがいいのか、答えなんて出せない。
ただ、私は遠い昔に誓ってしまった。
どれほどヒドイ現実でも目を逸らさない、と。
幼稚園で死生に疑問を持ち、小学生のときに決断した。
その誓いを抱えて、30年以上も人生を歩んでいる。
今さら、生き方は変えられない。
泣きながら誓ったけれど、
こんな現実を突きつけられるとはね。
ただ、救いもある。
パートナーの存在だ。
年末年始のめでたいときなのに、ずっと付きっきりで看病してくれている。なんで俺がこんなことを、なんてブチブチ文句言いながらも。私も心を軽くするためだとわかっている。相変わらず、素直じゃない人だ。
昔のように一人ぼっちだったら、耐えられなかっただろう。
ありがとう、しか言えない。
人生は残酷なときもある。トラブルで苦しんでいる最中に、さらにでかいトラブルを投げこんできたりする。けれども、苦しい時だからこそ気づけるものもある。そして、人生トラブルの最中に気づけたことは、一生を支えてくれるものであることが多い。死にかけ二桁でつかんだ、人生の法則だ。
湖の側に住んでいる人は
砂漠に置いてけぼりにされるまで
水の大切さには気づけない。
e-hon(2020年5月16日、売切中)
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自己紹介でもある記事
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