情報には賞味期限がある
2020年1月13日 自宅
「ありゃりゃ」
あんまりな意見に反論する気すら無くなった。
私は古典が好きだ。
神話も国を問わず大好きである。
過去の知恵で人生トラブルを乗りこえた回数は、両手両足の指にはとても収まらない。けれども、過去の知恵を応用せずに利用したことはない。
時代が違う。
インターネットすらなかった時代のやり方を、そのまま利用できるはずもない。私がよく読んだ古典に『孫氏の兵法』がある。飛行機に自動車、GPSもなかった時の戦法は現代戦では使えない。だが、相手国との駆け引きなどの戦略は現代でも有効だ。個人、組織レベルでも十分に威力を発揮する。
だが、毎年出版される書籍のほとんどはすぐに時代遅れになる。特に現代は変化のスピードが早い。実用書なんて、出版した3日後にシステムが変わって役立たずになる。そんな、運が悪いパターンだってあり得る。
それなのに。
過去の成功例に縛られている意見が世の中にあふれている。読んでいてクラクラめまいがしてくる。最新のものですら成功例は再現しにくい。実行者の人格や運、環境に結果がユーラシア大陸の端から端並みに左右されるからだ。成功例は参考程度にするものだ。むしろ、失敗例の方がよっぽど為になる。けれども、時代遅れの情報に人は群がってしまう。
目に見えないだけで、情報にだって賞味期限がある。賞味期限切れの情報をもとに計画して実行する。うまくいくはずがない。スーパーの買い物でまず行うように、まず賞味期限を確認するのが先だ。料理するのはその後である、食中毒になりたくなければ。
ごく一部の情報に賞味期限が存在しないものがある。古典にはずれがないのは、何百年も賞味期限が切れない情報が含まれているからだ。この情報のことを、人は知恵と呼ぶ。世間にあふれるぐちゃぐちゃの情報から、鮮度のいい情報と知恵を見つけ出す。情報を見極める目を持ちたいものだ。
有用な情報だけが流れる。
そんな時代は、これまで一度としてなかった。
そして、これからも訪れないだろう。
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